れて視点がまぎれやすい。機械は常に機能の拡大であり、それはその構造の内面機構の単純化をももたらせて本質的に遊離して私たちの前にもたらしてくれる。このことは私たちには興味深い事実としてあたえられていると思う。
 インドのミトスで、描くかわりに巌壁を磨いたことは、描くことの内面にひそむうつす[#「うつす」に傍点]ことの本質現象を囚《とら》えきたってあまさない。ナルシサスの美しさも水にうつすことによって自覚される。いわばうつすこと、それが水にもせよ、金銀にもせよ、鋼金にもせよ、水晶体にもせよ、レンズにもせよ、うつすこと[#「うつすこと」に傍点]その中に、芸術の始源的原型が内在せりと考えらるべきである。日本語でうつす[#「うつす」に傍点]ことがそのまま移動的意味を構成するごとく、それは芸術の移入的等値的射影性を意味すると考えたい。あらゆる意識の働きの原型もが、生命のすべての現象の等値的射影的関連にありとも考えられよう。うつす[#「うつす」に傍点]ことの原現象形態がまたそのまま文字、音楽などにもいきわたって、芸術のウルフェノメナに深い関連をもつとも考えられよう。そして今、レンズの場合、光が石英の合成体を通して、正しき屈折律をもって反射し、そこに展《の》べられる正確なる光の現象は、集団的意志、すなわち見る意志[#「見る意志」に傍点]の深い具象化とも考えられよう。
 このうつす[#「うつす」に傍点]ことが単に投影される方向より、投影する方向に転ずることで、うつす[#「うつす」に傍点]ことは単なる鏡[#「鏡」に傍点]より飜身して、光画[#「光画」に傍点]に変ずる。ここにこの二つの方向の転換の意味がモンタージュの意味の本質である。この投げられる[#「投げられる」に傍点]方向より投げる[#「投げる」に傍点]方向への転換性、そこにこそモンタージュの機構の秘密がある。
[#地付き]*『光画』一九三二年七月号



底本:「中井正一全集 第三巻 現代芸術の空間」美術出版社
   1981(昭和56)年5月25日新装第1刷
初出:「光画」
   1932(昭和7)年7月号
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2008年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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