頂きにたどりついて、脈々と連なる尾根を見晴らす時、何か叫びだしたくなる。そしてヨーホロロ…………ォと山に特有の調子でどこへともなく喚びかける。否、全山の清澄な空気と無限の寂《しず》けさへ向って喚びかける。そしてしばらく耳をすます時、山々の嶺より帰りきたるみずからの声がいろいろの変形を受けながらひろびろとひろがって、かぎりない空間に消えていく、ある時は見えない谷間から人の声をもって、ヨーホロロ…………ォと喚びかえさるることすらある。一つの声が無限の空間の中に喚びかえし、木魂《こだま》し反響するその深い感興こそ、胸の中のあらゆる幾山河に響かうそのひびきにもそれは似るであろう。
 かかる反響、射影こそ芸術の原現象の象徴でなくてはならない。移《うつ》し、映《うつ》し、覆《うつ》す、すべての現象は、かかるただちに声をうつしあう射影的現象でもなくてはならない。言葉の母音ならびに子音のあい反映する領域がすなわち文字の韻律である。音響の種々の変容による射影現象が作曲の意味でもある。
 うつすという現象の中にこそ深い芸術の原現象《ウルフェノメナ》がなければならない。
 すでに日本語ではかたち[#「かたち」に傍点]という視覚の根源的現象がすでにうつす[#「うつす」に傍点]という現象と関連をもっている。
 かた[#「かた」に傍点]という言葉は辞書に見れば象、形、容、態、型、式、跡、質、の漢字をあてるごとく、存在のもの[#「もの」に傍点]ではなくして、等質的に抽象されしその外輪、あるいはその外輪がほかのもの[#「もの」に傍点]に等値的に痕《のこ》せし射影、さらにその等値性よりして、それと交換しうる異質的存在を指し示す。『執語』の「ほととぎすのかた[#「かた」に傍点]をかきて…………」『神代記』の「国造被神之象(みかた)」は形[#「形」に傍点]、象[#「象」に傍点]、容[#「容」に傍点]、態[#「態」に傍点]を意味する。小紋のかた[#「かた」に傍点]あるいは「ささらがた錦のひもを…………」などは型である。「かたのごとく」という武道演劇におけるは、それは別の意味の型[#「型」に傍点]、格[#「格」に傍点]である。蓮如の「かたのごとく一宇を建立し…………」もまたそれである。そのほか貸金の抵当質物として「年季のこの玉を、たった三百のかた[#「かた」に傍点]にとって…………」と用うる場合がある。うら
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