強くなっているのである。しかし、一般に非連続なものの連続への原理は同一である。それが弁証法的立場においては、さらに移行における媒介として、すなわち主体性の立場において、一段の力学性を帯びてくるのである。
芸術的見かたとはしからばどんな特徴をもっているのだろうか。
よく芝居気分といっている気分がある。芝居を見にいこうと思って着物を着替えたりするころから、何か浮き浮きしている。母親が娘に冷やかされたりするほどいつもと異なった人間になりかわっている。母親は母親の威厳やとりすましを失って、一箇の人間になっている。博士はうっかり博士を忘れているし、軍人は劔を忘れ、商人は算盤を忘れ、僧侶は宗教を忘れて、おかしければ笑い、悲しければ泣いている。みんな子どもになって遊んでいる。
劇場においては、臨検の警察官もその職務を忘れて泣くはど、人間全体が、一箇の原始人に帰ってなまの裸の気分で舞台を見つめている。
「見る存在」とでもいいたいような存在に、人間がなりすましている。いじましい[#「いじましい」に傍点]職業を忘れかけていもすれば、貧富も忘れかけている。身分も見ている間は消えかけている。そんな人間はありえないはずなのに、それへの傾きをつよく強いる性質を舞台はもっている。またそれが本質でもあるようである。職業意識も、身分もない人間、真に、もう一度全部を考えなおして、正しく生きなおさなくてはならないはずの人間に、正しく人間を建設する人間に、一瞬でも人間を引きあげることは注意すべきことである。そこでは人間は単なる自然の人間でもなく、一日一日築きあげている技術の人間でもなく、正しかるべき人間が、未来から、ソッと汚濁に満ちたこの現実を鍵穴から覗いているような、「見る存在」になっているのである。身分とか職業とか疎外された人間の桎梏に対立する人間となること、ここに「見ること」がその真の姿においてあらわれているともいえるのである。
芸術の快感が、ほかの快感より異なっているのは、この正しい客観的真実、文化の背後のものの羽音を身近く感じている刺戟にほかならない。この気分は芝居だけでなく、すべての芸術の分野の「見ること」がもっている意味である。
「見ること」の機《はず》みをもって、自分自身がいつのまにかほかのものとなっていることを確かめる。「見ること」の機《はず》みをもって、自分自身を脱けだし、自分自身を対象化すること、「見ること」を機《はず》みとして、自分自身を自分自身に矛盾せしめ、自分自身をスプリングボードとして時の中に跳ねかえり、突きすすむ。これが芸術気分である。「見る存在」の中に人間が身を置く時、時の中に欝勃としてひろがっている自分と民衆に一様に響きくる反響である。
こんな意味で画の世界にとって画布は、演劇の世界にとって舞台の第四の壁は、文学の世界にとって紙は、一つの機《はず》みであり、跳躍の板である。画布は決して二次限[#「二次限」はママ]の平面ではなくて、発条のようなはたらきである。
しかしこんな芸術気分には現今においては人々は実にふれにくいのである。なぜなら、商人が算盤を忘れて「見る世界」に入るどころか、画家が算盤を抱いて絵を描いているのである、いや描かずにいられないのである。
「見る存在」それ自体が商品化されている。そして大衆の見るはたらき[#「はたらき」に傍点]は利潤対象として数量化されている。大衆は利潤対象としての大衆として、訓練され、ようやくもの[#「もの」に傍点]になりつつある。デパートと映画と新聞と蓄音機のタイアップと、権力者の参加で、とんでもないものになりつつある。
大衆の見る作用が、すでに売りものに、売りものどころかもっと大きな機構の犠牲になってひきゆがめられている証拠を私たちはいたるところに見せつけられるのである。誰一人真にその中で楽しんでいるのではなくして、人々と共に、何かに引きずられているのである。
「見ること」の正しさを守りつづけること、そして大衆を見ることの正しさの中に奪いかえすこと、この戦いが否定を媒介としてみずからを対象化するという、さながらの物になりきるという、「見ること」、そのことの中にある本質にほかならないのでもある。
[#地付き]*『国民美術』一九三七年四月号
底本:「中井正一全集 第三巻 現代芸術の空間」美術出版社
1981(昭和56)年5月25日新装第1刷
初出:「国民芸術」
1937(昭和12)年4月号
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2008年4月15日作成
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