走{が組合わされる比例のこの差異は、貨物の生産に必要な労働量の大小ということの他に、その相対価値を変動せしめる他の一原因を導入する、――この原因とは[#「は」は底本では欠落]労働の価値における騰貴及び下落である。
 労働者によって消費される食物及び衣服、その中で彼が働く建物、彼れの労働を助ける器具は、すべて、消耗すべき性質を有っている。しかしながらこれらの種々なる資本がもちこたえる時間には莫大な差異がある、すなわち蒸気機関は船舶よりも、船舶は労働者の衣服よりも、労働者の衣服は彼が消費する食物よりも、より[#「より」に傍点]長く保つであろう。
 資本が速かに消耗ししばしば再生産される必要があるか、またはゆっくりと消費されるものであるかによって、それは流動資本または固定資本の部類に種別される(註)。高価な耐久的な建物や機械を有つ醸造業者は多量の固定資本を使用するといわれる。反対に、その資本が主として労賃の支払に用いられ、その労賃は建物及び機械よりもより[#「より」に傍点]消耗的な貨物たる食物及び衣服に費される所の、製靴業者は、その資本の大部分を流動資本として使用するといわれている。
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(註)本質的ではなく、かつ境界線を正確に引き得ない所の、区別である。
[#ここで字下げ終わり]
 流動資本は、極めて時を異にして循環すること、すなわちその使用者に囘収されるということもまた、観察されるべきである。播種のために農業者が購入した小麦は、パンを焼くためにパン焼業者が買い入れた小麦に対しては、比較的に固定資本である。一方はそれを地中に遺し、一年の間は何らの報酬も獲得し得ないが、他方は麦粉に挽かせパンとしてそれをその顧客に売り、そして彼は一週間の後には、同一の事を繰返すか、またはある他の仕事を始めるために、彼の資本を解放し得るのである。
 かくて、二つの事業が同一量の資本を使用するかもしれぬが、しかし固定した部分と流動する部分とについては極めて種々に異って分割されもしよう。
 一つの事業においては極めてわずかな資本が流動資本として、換言すれば労働を支持するために、用いられるにすぎず――すなわち資本は主として機械、器具、建物等に、すなわち比較的に固定的かつ耐久的な性質の資本に投ぜられるであろう。他の事業においては、同一量の資本が用いられるであろうが、しかしそれは主として労働の支持に用いられ、そして極めてわずかが、器具、機械、及び建物に投ぜられるであろう。労働の労賃の騰貴がかかる異った事情の下において生産される貨物に対して及ぼす影響は、異らざるを得ない。
 更に、二人の製造業者が同一量の固定資本と同一量の流動資本とを用いるが、しかし彼らの固定資本の耐久力は極めて不等であることがあろう。一方は一〇、〇〇〇|磅《ポンド》の価値の蒸気機関を有ち、他方は同じ価値の船舶を有つこともあろう。
 もし人々が生産に何ら機械を用いずただ労働のみを用い、そしてその貨物を市場に齎すまでにすべて同一時間を要するとすれば、彼らの財貨の交換価値は用いられた労働の分量に正確に比例するであろう。
 もし彼らが同一の価値を有ちかつ同一の耐久力を有つ固定資本を使用するならば、その時にもまた、生産された貨物の価値は同一であり、そしてそれはその生産に使用された労働量の大小に応じて変動するであろう。
(一八)しかしたとえ、同様の事情の下において生産された貨物は、その一または他を生産するに必要な労働の分量の増加または減少を除くいかなる原因によっても、相互に対して変動しないであろうとはいえ、しかも同一の比例の量の固定資本をもって生産されない所の他のものに比較するならば、たとえそのいずれの貨物の生産に必要な労働量には増減がなくとも、私が先きに述べた他の原因、すなわち労働の価値の騰貴によってもまた変動するであろう。大麦及び燕麦は労賃がいかに変動するとも、相互に引続き同一の関係を維持するであろう。綿製品及び毛織布も、それがもし相互に正確に同様な事情の下において生産されるならば、前の場合と同様であろう、しかしながら労賃の騰貴または下落と共に、大麦は綿製品に比較して、また燕麦は毛織布に比較して、価値がより[#「より」に傍点]多くもまたはより[#「より」に傍点]少くもなるであろう。
 二人の人が各々百名の人間を二台の機械の建造に一年間用い、そしてもう一人の人が同一数の人間を穀物の耕作に用いると仮定すれば、各々の機械は、その年の終りに、穀物と同一の価値を有つであろうが、それは、それらが各々同一の労働量によって生産されるであろうからである。この機械の一つの所有者が、翌年、百名の人間の助力によって、それを毛織布の製造に使用し、そしてもう一つの機械を所有する人もまた、同様に百名の人間の助力によって、彼れの機械を綿製品の製造に使用し、他方農業者は引続き以前と同様に百名の人間を穀物の耕作に雇っていると仮定せよ。第二年目中に、彼らはすべて同一の分量の労働を使用するであろう。しかし、毛織物業者並びにまた綿織物業者の有する財貨と機械との合計は、二百名の人間を一年間使用した労働の結果であり、またはむしろ百名の人々の二年間の労働の結果であろう。しかるに穀物は百名の人間の一年間の労働によって生産されるであろう、従ってもし穀物が五〇〇|磅《ポンド》の価値であるとすれば、毛織物業者の機械と毛織布との合計は一、〇〇〇|磅《ポンド》の価値でなければならず、そして綿織物業者の機械と綿製品もまた、穀物の価値の二倍でなければならない。しかしながらこれらのものは穀物の価値の二倍以上であろう、何故なれば、第一年目の毛織物業者及び綿織物業者の資本に対する利潤がその資本に附加されているが、しかるに農業者の利潤は費消されかつ享楽されてしまっているからである。かくして彼らの資本の耐久力の程度の異るがために、または同じことであるが、一群の貨物が市場に齎され得るまでに経過すべき時間のために、それらの価値は、正確にそれに投ぜられた労働の分量に比例しないであろう――すなわちそれらは二対一ではなく、最も価値の多いものが市場に齎され得るまでに経過しなければならぬより[#「より」に傍点]長い時間を償うために、幾らかそれより[#「より」に傍点]もより多くなるであろう。
 各労働者の労働に対し一年に五〇|磅《ポンド》が支払われ、または五、〇〇〇|磅《ポンド》の資本が使用され、そして利潤は一〇%であるとすれば、機械の各々並びに穀物の価値は、第一年目の終りに、五、五〇〇|磅《ポンド》であろう。第二年目には、製造業者及び農業者は再び各々労働を支持するために五、〇〇〇|磅《ポンド》を用い、従って再び彼らの財貨を五、五〇〇|磅《ポンド》で売るであろうが、しかし機械を用いる者は、農業者と均衡を保つためには、啻に労働に使用された五、〇〇〇|磅《ポンド》なる同額の資本に対して五、五〇〇|磅《ポンド》を得なければならぬばかりでなく、更に機械に投ぜられた五、五〇〇|磅《ポンド》に対する利潤として、より[#「より」に傍点]以上に五五〇|磅《ポンド》の額を得なければならず、従って彼らの財貨は六、〇五〇|磅《ポンド》で売れなければならない。しからばここに、年々彼らの貨物の生産に正確に同一の分量の労働を使用する資本家達があるが、しかも彼らの生産する財貨の価値は、その各々によって用いられる固定資本すなわち蓄積労働の分量の異るために、異っているのである。毛織布と綿製品との価値は同一であるが、それはこれらが同一の分量の労働と同一の分量の固定資本との生産物であるからである。しかし穀物の価値はこれらの貨物と同一ではないが、それは固定資本に関する限りにおいて、異る事情の下で生産されるからである。
 しかし、それらの相対価値は、いかにして労働の価値における騰貴によって影響を蒙るであろうか? 毛織布及び綿製品の相対価値が何らの変化をも蒙らないであろうことは明かである、けだし仮定された事情の下においては、一方に影響を及ぼすものは他方にも等しく影響を及ぼさなければならぬからである。小麦及び大麦の相対価値もまた何らの変化も蒙らないであろう、けだしそれらは、固定資本及び流動資本の関係する限りにおいて同一の事情の下で生産されるからである。しかし毛織布または綿製品に対するその相対価値は、労働の騰貴によって変更されなければならない。
 利潤の下落なくしては、労働の価値における騰貴はあり得ない。もし穀物が農業者と労働者との間に分たるべきであるとするならば、後者に与えられる割合が大きければ大きいほど、前者に残る所はわずかであろう。同様に、もし毛織布または綿製品が労働者とその雇傭者との間に分たれるとするならば、前者に与えられる比例が大きければ大きいほど、後者に残る所はわずかである。そこで労賃の騰貴により利潤が一〇%から九%に下落すると仮定すれば、製造業者は、その固定資本に対する利潤として、その財貨の共通の価格に(すなわち五、五〇〇|磅《ポンド》に)五五|磅《ポンド》を附加せずに、その額に九%すなわち四九五|磅《ポンド》しか附加せず、従って価格は六、〇五〇|磅《ポンド》ではなくて五、九九五|磅《ポンド》となるであろう。穀物は引続き五、五〇〇|磅《ポンド》で売れるであろうから、より[#「より」に傍点]以上の固定資本が使用された製造財貨は、穀物またはその他のより[#「より」に傍点]少い分量の固定資本が入込んでいる財貨に比較して、下落するであろう。労働の騰落による財貨の相対価値の変動の程度は、固定資本が使用された全資本に対して有つ比例に依存するであろう。極めて高価な機械により、または極めて高価な建物の中で、生産される所の、またはそれが市場に齎され得るまでに長い時間を必要とする所の、すべての貨物は、相対価値において下落するであろうが、しかるに、主として労働によって生産され、または速かに市場に齎されるであろう所の、すべてのものは、相対価値において騰貴するであろう。
 しかしながら、読者は、貨物のこの変動原因は、その結果において比較的軽微であることを注意すべきである。利潤において一%の下落を惹起す如き労賃の騰貴があれば、私が仮定した事情の下で生産された財貨の相対価値は、わずか一%だけ変動する。それは利潤のかかる大下落があるのに、六、〇五〇|磅《ポンド》から五、九九五|磅《ポンド》に下落するに止る。労賃の騰貴によりこれらの財貨の相対価値に対し生み出され得る最大の影響といえども、六%または七%を超過し得ないであろう。けだし利潤はおそらくいかなる事情の下においてもかかる額以上の一般的なかつ永続的な下落を許し得ないであろうからである。
 貨物の価値の変動の他の大原因、すなわちそれを生産するに必要な労働の分量の増減は、これと異る。もし穀物を生産するに百名ではなく八十名が必要とされるならば、穀物の価値は二〇%、すなわち五、五〇〇|磅《ポンド》から四、四〇〇|磅《ポンド》に下落するであろう。もし毛織布を生産するに、百名ではなく八十名の労働で十分であるならば、毛織布は六、〇五〇|磅《ポンド》から四、九五〇|磅《ポンド》に下落するであろう。大なる程度における永久的利潤率の変動は、多年の間においてのみ作用する原因の結果である。しかるに貨物を生産するに必要な労働の分量の変動は、日々起るものである。機械や道具や建物や原料の生産に[#「生産に」は底本では「生産やに」]おけるあらゆる改良は、労働を節約し、吾々をしてかかる改良の加えられた貨物をより[#「より」に傍点]容易に生産することを得せしめ、従ってその価値が変更するのである。しからば貨物の価値の変動の原因を測定するに当って、労働の騰落によって生み出される結果を全く度外視するのは正しくないであろうが、それに多くの重要さを附するのも同等に正しくないであろう。従って本書の以下の部分においては、時に私はこの変化の原因にも触れはしようが、私は、貨物の相対価値に起るすべての大
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