ネる変化をもって、その時にそれを生産するために必要とされる労働の分量の大小によって生み出されたものと、考えるであろう。
 その生産に投ぜられた労働の同一な諸貨物は、もしそれらが同一の時間で市場に齎され得ないならば、交換価値において異るであろうということは、ほとんどいうをまたない所である。
 私が一貨物の生産に一年間一、〇〇〇|磅《ポンド》の費用で二十名を雇い、そしてその年の終りに、再び翌年度のために更に一、〇〇〇|磅《ポンド》の費用を出して、同じ貨物の仕上または完成に、二十名を雇い、そして私はそれを二年の終りに市場に齎すと仮定すれば、もし利潤が一〇%であるならば、私の貨物は二、三一〇|磅《ポンド》で売れなければならない、けだし私は一年間一、〇〇〇|磅《ポンド》の資本を用い、更に一年間二、一〇〇|磅《ポンド》の資本を使用したからである。もう一人の人は、正確に同一の分量の労働を雇うけれども、しかし彼はそれをすべて第一年目に雇うのであり、すなわち彼は二、〇〇〇|磅《ポンド》の費用で四十名を雇うのであって、第一年目の終りには彼はそれを一〇%の利潤を得て、すなわち二、二〇〇|磅《ポンド》で売るのである。しからばここに、正確に同一の分量の労働が投ぜられていて、その一つは二、三一〇|磅《ポンド》に売れ――他は二、二〇〇|磅《ポンド》に売れる所の、二つの貨物があるわけである。
 この場合は前の場合と異るようであるが、実際は同一である。双方の場合において、一方の貨物の価格がより[#「より」に傍点]高いのは、それが市場に齎され得るまでに経過しなければならない時がより[#「より」に傍点]長いのによる。前の場合においては、機械及び毛織布は、それらにわずか二倍の労働量が投ぜられているに過ぎないにもかかわらず、穀物の価値の二倍以上であった。第二の場合においては、一方の貨物はその生産により[#「より」に傍点]以上の労働が用いられていないにもかかわらず、他方よりも価値がより[#「より」に傍点]多い。この価値の相違は、双方の場合において、利潤が資本として蓄積されるのによるのであり、そして単に、利潤が留保された時間に対する正当な報償に過ぎないものである。
 しからば、異る事業に用いられる資本が、固定資本と流動資本との種々な割合に分たれることは、労働がほとんどもっぱら生産に使用される際に普遍的に適用され
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