「死ぬ」という言葉はこうしたことを意味するのです。
そのひとと同じ顔はもう二度と再びこの世に生れて来ることはないのです。決して、決して生れて来ることはないのであります。なるほど、鋳型《いがた》というものはあるでしょう。それを取っておけば、同じような輪廓《りんかく》をもち、同じような色彩《いろ》をした像を幾つとなく造ることは出来るでありましょう。しかしながら、あの体あの顔は、もう二度と再びこの地上に現われることはないのです。しかも人間は、幾千となく、幾百万となく、幾十億となく、いやそれよりももっともっと数多く生れて来るでありましょうが、新たに生れて来る女のなかには、そのひとはもう決して見出されないのです。有っていいでしょうか、そんなことが有っていいのでしょうか。かく思いかく考え来《きた》るならば、人間は気がへん「#「へん」に傍点」になって来るのでありましょう。
ところで、わたくしが愛していた女は、二十年のあいだこの世に生きていたのであります。ただそれだけでした。そして彼女は永久に消え去ってしまったのであります。永久に、永久に消え去ってしまったのであります。
彼女はさまざまなことを考えました。微笑みました。またわたくしを愛しました。しかしながら、ただそれだけでした。創造の世界にあっては、人間は、秋に死んでゆく蠅とすこしも変るところはないのです。ただそれだけのことなのであります。そこで、わたくしは考えたのであります。彼女の肉体、あのみずみずしていた、温ッたかな、あんなに柔かく、あんなに白くあんなに美しかった肉体が、地下に埋められた棺の底で腐ってゆくことを考えたのであります。肉体はこうして朽ち果ててしまう。しかして、その魂や思いはどこへ行ってしまうのでありましょうか。
(二度と再び彼女には会えないのだ。ああ二度と再び彼女には会えないのだ)
腐爛《ふらん》してゆく肉体のことが、わたくしの念頭につきまとって、どうしても離れません。たとえその肉体は腐っていても、在りし日の面影は認められるであろう。わたくしにはそんな気がいたしました。そして、わたくしは今一たび彼女の肉体を見ようと思ったのであります。
わたくしは鋤《すき》と提燈《ちょうちん》と槌《つち》をもって家を出ました。墓地の塀を乗りこえて、わたくしは彼女を埋めた墓穴を見つけました。穴はまだすっかり埋めつくされてはおり
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