――これ[#「これ」に傍点]なのです」
そう云って、老嬢は絶望的な身振りをして、わなわな顫える手を前にさし出した。
それから幾度も幾度も洟《はな》をかみ、眼を拭いて、こう云うのだった。
「私は理由《わけ》は云わずに、婚約を取消してしまいました。そして、私は――私は今日までずッと、十三歳のその少年の寡婦を通してきたのです」
彼女はそれから顔を胸のあたりまでうな垂れて、いつまでもいつまでも、淋しい涕《なみだ》をながして泣いていた。
一同が部屋へ寝に引上げてしまうと、彼女の話でその静かな心を乱された、でッぷり肥った一人の猟人が、隣にいた男の耳に口を寄せて、低声《こごえ》でこう云った。
「せんちめんたる[#「せんちめんたる」に傍点]もあすこまで行くと不幸ですなあ!」
底本:「モオパツサン短篇集 色ざんげ 他十篇」改造文庫、改造社出版
1937(昭和12)年5月20日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「揚句→あげく 貴方・貴女→あなた 或る→ある
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