、之れを伊藤侯に比すれば、共に人気ある総理大臣たるを得ざりき。伊藤侯の内閣を組織するや、最初は常に天下に歓迎せられて、最後は常に国民を失望せしむ。侯が明治十八年自ら総理大臣と為りて第一次の内閣を組織するや、始めて政綱を発表し、官制を改革し、文官任用令を設け、天下をして斉しく其の風采を想望せしめたりき。而も其の辞令の立派なる割合には実際に成功したる事績甚だ少かりしのみならず、繁文縟礼の弊反つて此間に生じたり。加ふるに浮泛なる欧化政略は、内治外交の両面に救ふ可からざる壊膿を生じて、遂に内閣の瓦解を見るに至りき。第二次内閣は、選挙干渉に失敗したる松方内閣の後に組織せられ、山県、黒田、井上、大山、仁礼の薩長元老も相携へて入閣したれば、世間之れを称して元勲内閣といひたりき。侯は意気軒昂我れ能く政党の外に超然として議会を操縦するを得可しと信じたるに拘らず、議会は寧ろ侯の行動を非立憲的と為して、荐りに不信任動議を提出したりき。一たびは和衷協同の勅諭を奏請したりき。二たびは議会の解散を断行したりき。而も議会は容易に武装を解くを肯んぜずして依然内閣の攻撃を事としたりき。此にて侯は超然主義の到底保持す可か
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