雖も、終始善く皇上の御信任を全うして頭等元勲の待遇を受けたり。後世より公を見ば恐らくは維新の三傑よりも一層偉大なる人物なりと信ぜらるべし。
 然れども公が新日本建設者の一人として優勝特絶の地歩を占むる所以は、言ふまでもなく立憲政治の創設を大成したるに在り。顧ふに立憲政治の創設は、岩倉、木戸、大久保の諸賢夙に之れを 聖天子に献替して其の基を啓らき、爾来補弼の重臣之れを内に翼賛し、在野の政治家之れを外に唱道して、遂に欽定憲法の発布を見るに至りたりと雖も、此の憲法の立案、及び之れを実施するが為に必要なる一切の準備は、殆ど専ら伊藤公の手に成れりと謂ふべし。蓋し立憲政治を創設するに於て最も困難なる問題は、日本固有の国性と、欧洲立憲制との円満なる調和を実現すること是れなりき。若し国性に適合せざる憲法を制定するときは、啻に之れを運用するの難きのみならず、到底其の効果を収むる能はずして、却つて帝国の発達と繁栄とを阻害するに至らむ。公は理想よりも歴史に重きを置き、国性と両立し得る限りに於て、欧洲立憲制の組織を斟酌採択せむとし、其の聖鑒を蒙りて任に憲法立案の事に膺るや、一面に於ては欧洲各国の憲法を調査して、二年の歳月を海外に費し、一面に於ては自ら専門の国学者を相手とし、心血を竭くして古今の沿革を講究したり。当時憲法を私議するもの、大抵其の範を民政主義の立憲制に採らむとするに傾き、之れに反して民政主義を悦ばざるものは、動もすれば極端なる神権政治を主張して、立憲政治を否認するの論結に帰著し、共に皇謨の大精神と相距る甚だ遠かりき。而も公は政治家たるの識見と立法家たるの才智とを兼備するの資を以て、純然たる君主的立憲制の日本の国性に適合するを確信し、且つ之れを確立するに於て周到なる意匠と慎重なる考慮を凝らし、以て遂に千古不磨の大典を立案するを得たり。
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 斯くて憲法を発布せられたりと雖も、之れを実施するに方りては、先づ行政各部の機関をして立憲的動作を為さしむるに適当なる諸般の改革を行はざるべからず、否らざれば未だ立憲政治の創設を完成したりと謂ふを得ざればなり。而して此の改革は政府の組織を根本より変更するものなるが故に、其の影響の及ぶ所は極めて広汎にして、直接に之れが打撃を受くるものは政府部内の藩閥者流なり。例へば会計法の如き、文官任用令の如きは、事実上藩閥の勢力を削小するの結果を生ずるを以て、最も藩閥者流の感情を刺戟したりしは自然の勢なるべし。然れども 皇上は憲法調査の全権と共に、憲法実施に関する凖備をも挙げて之れを公の自由手腕に委任せられたりき。是れ改革の容易に行はれたる所以なり。且つ憲法実施の準備整頓するや、公は自ら新官制に基きたる内閣の総理大臣と為りて、各行政機関の運用を試みたりき。是れ将に来らむとする議会に対せむが為に、政府の立憲的動作を訓練するに外ならざりき。斯くの如く公は一身を立憲政治の創設に捧げて其の能事を尽くしたれば、憲法の効果を収むるに就いても、亦無限の責任あるを感ずるは当然なり。
 初め欧洲に於ては、日本の果して憲法政治に成功するや否やを疑ふの学者少なからざりしが、顧みて憲法実施後の経過を見れば、政府と議会との行動に於て大に非難すべき点なきに非ずと雖も、全体の成績よりいへば、何人も憲法の効果に対して疑惑を挟むものあるべからず。但だ公は憲法と一身同体の関係あるを自信して、憲法実施以来、其の朝に在ると野に在るとを問はず、絶えず其効果の如何を監視して、立憲政治の健全なる発達を助けむとするものゝ如し。曾て屡々議会に現はれたる大臣責任問題に関しては、公は君主的立憲制の本義を固執して、英国流の責任論を排斥するに余力を遺さざりき。何となれば日本の内閣は帝室内閣にして、大臣は天皇に対して補弼の責に任ずと憲法に明記したればなり。然れども公は帝室内閣を広義に解釈し、原則としては、政党をして天皇の大権を侵犯せしむるを許さずと雖も、日本臣民は均しく文武官に任ぜらるゝの権利を与へられ、又文武官の任免は、大権の発動に属するものたる以上は、政党を以て内閣を組織せしむるも、决して君主的立憲制と相悖らずと説けり。是を以て公は大隈板垣両伯を奏薦して内閣を組織せしめたることありしのみならず、自ら政友会を組織し、其の会員を率いて内閣を組織したることありき。要するに公が政友会を創立したるは、日本立憲政治史に一新紀元を劃するものなり。
 公が憲法の効果を収めむが為に、常に朝野の間に立ちて、憲法の活ける註解者として働らき、今尚ほ働らきつゝあるは、憲法起草者たる公として避くべからざる責任を感ずるが故なるべし。今や憲法発布二十年期に際し、皇上特に憲法紀念館を公に下賜して、其の晩年の光栄を限りなからしめ給ふ。拝聞す此の建物は皇室の典範、帝国
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