らむ、怪むなかれ是れ彼れに在ては実に尋常の事のみ彼れは理想を有し主義を尊重するの政治家に非ずして、唯だ獣力最も逞ましき野心家の雄のみ、彼れ往々大言壮語群小を驚かすものありと雖も、其の胸中には済国安民の経綸あるに非ずして、唯だ政治上の狗儒教信者なり、世には正義人道の罪人たるもの少なからずと雖も、彼れが如く冷酷にして善く正義を笑ひ人道を嘲けるものは、古今の歴史に於ても甚だ稀有なり試みに彼れが第十四議会に於て尾崎行雄氏を陥擠せむとしたる手段の如何に忍刻なりしかを見よ、彼は尾崎氏が予算全部に反対なりといへる片言を捉らへて、直ちに之れを皇室費にも反対するの意を表示したりと誣ひ以て氏を大不敬罪に問はむとしたりしに非ずや、其の敵党に対する戦法の卑劣にして且つ陰険なるは暫らく之れを措くも、其の正義人道に対する思想の冷酷なる、決して公人の行為として之れを見る可からざるものあり、誰れか彼を称して主義あり理想ある政治家とするものぞ。
 相公閣下、曾て民党に推薦せられて衆議院議長と為り、而も自ら民党の聯合を破りたるものは則ち彼れ星亨氏なり、彼は閣下の内閣に自由党を盲従せしめたるも、今や彼は局面展開の魔術を講じて閣下の内閣を破壊せむとするを見る、是れ彼れに在ては殆んど尋常の事のみ、何ぞ怪むを須いむ、独り我輩の怪む所は一百余の代議士を有する大政党が斯くの如き醜怪なる人物をして擅まに其党規を紊乱せしめて憂へざること是れなり、我輩豈一の星亨氏に重きを置きて区々の言を為すものならむや。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]二十五※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、道路伝ふる所に拠れば、自由党の総務委員も亦星亨氏の局面展開論に一致し、聯立内閣の名義の下に政権分配を閣下に要求するの議を決したりと、而して斯る要求の到底閣下に容納せらる可きものたらざるは、我輩既に之れをいへり、閣下にして若し之れを拒絶せば、自由党は如何なる態度を以て所謂る局面展開の実効を挙げむとする乎、或は曰く、事此に至れば自由党は唯だ閣下の内閣と提携を絶つの外なきのみと、顧ふに此種の局面展開論は、恐らくは伊藤侯の同意を得るものにあらざる可く、侯は曾て自由党の為めに屡々政権分配を要求せられて屡々手を焼きたるの人なり、侯が政党改造を唱道するの一要義は実に自由党が常に政権分配を口実として、侯の所謂る大権の作用に干渉するの行動を抑制するに在り、侯が容易に自由党の擁立を肯んぜざるは、亦誠に此れが為のみ、而も星亨氏の一たび自由党の実権を握るに及で、自由党は唯だ政治を以て専ら私利私福を営むの具と為し、閣下も亦其の私情を利用して議院政略を運用し、其の結果として自由党は益々腐敗すると共に、閣下の内閣も亦漸く威信を失ふの挙措に出でたること少なからず、是れ伊藤侯が別に局面展開の必要を認むるに至りたる所以なり、但だ侯は局面展開に付て別種の成算あるを以て、今日尚ほ局外に中立して自由党の為に自ら起つの愚を為さゞるのみ。
 相公閣下、伊藤侯は今日自由党に擁立せられて直に閣下の内閣に肉薄せざる可し、さりとて閣下は自由党と提携を絶ちて、果して能く内閣の存立を保ち得可しと信ずる乎、閣下の属僚は第十五議会を解散するの覚悟を閣下に求めたりといふも、閣下にして若し此の覚悟を以て自由党の要求を拒絶せば閣下は議院の多数を敵とするのみならずして、閣下に対する伊藤侯の反感も亦必らず此の時を以て事実に現はれむ、何となれば閣下の内閣にして議院の多数を敵とするに至れば、伊藤侯は必らず自ら起つて其の難局を匡救せむとし、以て侯の最も得意なる内閣乗取策を行ふ可ければなり、侯の最も得意なる内閣取乗策とは、他の窮処を見澄まして始めて自ら起つこと是れなり、換言せば侯は水到りて渠自ら成るの機会を待つものなり、故に侯が今日の心事を測れば、閣下の内閣と自由党とが益々衝突せむことを望み、自由党が閣下の内閣と提携を絶つに至らむことを望み、而して自由党が勢ひ侯の命令の下に左右せらるゝに至らむことを望めり、是れ閣下の宜しく領解せざるべからざる事情にあらずや。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]二十六※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、閣下の内閣が近き未来に於て伊藤侯の内閣に代らる可き運命あるは、殆ど一種の予言として国民に信ぜらるゝのみならず、伊藤侯亦自ら取つて代るの野心勃々たるは、天下何人も恐らくは之れを疑ふ者ある可からず、但だ自由党が伊藤内閣の成立を望むの意たとひ熱切なりとするも、其意単に侯を擁立して私利私欲を遂げむとするに在らば、到底再び衝突するの外なきは明白の理勢なるを以て、侯にして愈々自ら起つの時は、是れ自由党が大に其の内容を改造して、侯の理想に適合せる政党と為りたるの日ならざる可からず、是れ自由党に在ては頗る
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