リツク、オヴヱンデス卿に與へられたり。間もなくフレデリツク卿被害の報は倫動に來れり。余(マツカーシー)自身はパーネル氏と相伴ひて、ヂルク及チヤムバーレーンの二氏を訪問し以て愛蘭の善後策を談ぜり。當時チヤムバーレーンは尚愛蘭國民黨に信任せられ、彼等はチヤムバーレーンを以て自治案に對する愛蘭人の要求に深厚なる同情を有するものなりと思へり。されど彼れは依然商務局長たるのみ、愛蘭尚書たるの機會は來らざりき。彼れが自治案に反對したるは此の以後に在りと。此に依りて是れを觀れば、チヤムバーレーンが其の持説を一變したるは、自由黨内閣が彼れに愛蘭尚書の位地を與へざりしもの其の主因たりしが如し。マツカーシー又曰く、初めグラツドストンの自治案に反對したる者は、自由黨にも亦頗る多かりき。されど反對の燒點たりし條項はグラツドストンに依て修正せらるゝに至て、彼等は皆グラツドストンの指導の下に復歸したり。獨りチヤムバーレーンは全く彼等と其の行動を異にしたりきと。余はマツカーシーの鋭利なる觀察に依て、チヤムバーレーンの進退に關する眞相を知ると共に、移して以て日本のチヤムバーレーンたる尾崎氏の行動を判斷するの參考と爲さ
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