んだ方でもない。又赤心を人の腹中に預けて置て毫も疑はぬやうの英雄收攬術には頗る缺けて居るらしい。曾て馬場辰猪、大石正巳、末廣重恭などが伯と喧譁別れをしたのも之れが爲である。
※[#丸中黒、1−3−26]故に伯は個人として餘り士心を得た方でなかつた。併し伯は人氣を取ることを目的としないで、唯だ自由民權論を終始一日の如く唱道した。伯の政治生涯は性格に依て指導せられたる所少なく、理想に依て指導せられた所が多い。伯は理想を以て國民を教化せむと勉めたのであつた。其の結果板垣黨が生れずして自由黨が生れた。伯を中心としたる私黨ではなく、理想を中心としたる公黨が出來上つたのである。
※[#丸中黒、1−3−26]自由黨に續て改進黨が現はれたが、此の改進黨は本來をいへば大隈伯が自分の直參や郎等を集めて作つたもので、實際初めは伯を中心として組織せられたものであつたから、何となく大隈臭い所があつた。世人も亦一名之れを大隈黨といつたのである。然るに自由黨は少しも板垣臭い所はなかつた。どう見ても板垣黨といふべき形も色もなかつたのである。
※[#丸中黒、1−3−26]勿論當時自由黨は屡々過激の行動が有て、政府
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