亦怪む可きなし。大岡育造氏[#「大岡育造氏」に丸傍点]は、曾て國民協會を自由黨に合同せしめて、伊藤侯を其の首領たらしめんと試みたる策士にして、侯の今囘發起せる政友會の創立委員たるは、其の最も滿足とし、榮譽とする所たるは無論なる可し。渡邊洪基氏[#「渡邊洪基氏」に丸傍点]は一たび伊藤侯の四天王の一人なりと稱せられたる人なり。其志を政界に得ざるや、乃ち身を實業社會に投じて久しく政治的野心を抑損し、隨つて侯と彼れとの關係は次第に杳遠と爲りつゝありしと雖も、侯の政友會を組織するに及び[#「侯の政友會を組織するに及び」に傍点]、成る可く多く舊政友を糾合するの必要あると[#「成る可く多く舊政友を糾合するの必要あると」に傍点]、渡邊氏と實業社會との間には多少の連絡あるを以て[#「渡邊氏と實業社會との間には多少の連絡あるを以て」に傍点]、彼を通じて實業家を招徠するの必要あるとに依りて[#「彼を通じて實業家を招徠するの必要あるとに依りて」に傍点]、殆ど相忘れむとしたる一門下生に復舊を求めて[#「殆ど相忘れむとしたる一門下生に復舊を求めて」に傍点]、之を政友會創立委員の一人に指名したりき[#「之を政友會創立委員の一人に指名したりき」に傍点]。長谷場純孝氏[#「長谷場純孝氏」に丸傍点]の創立委員に加へられたるは、彼れが薩派を代表するが爲めにして、彼に取ては寧ろ望外の榮譽なる可し。彼れは思想に於ても、感情に於ても、若くは其の人格に於ても決して伊藤侯に容れらる可き點を有せず。其の容れられたるは[#「其の容れられたるは」に傍点]、是れ侯が彼れの代表權に重きを置きたる證なればなり[#「是れ侯が彼れの代表權に重きを置きたる證なればなり」に傍点]。
(四)歸化したる敵將
伊藤侯は勉めて各種の要素を收容せむと欲し、敵黨の人物と雖も來るものは之を拒まざるの概を示したり。此を以て新を喜び舊を厭ふの輕佻者流、若くは侯の資望勢力に依りて萬一の倖進を冀ふものは、爭ふて政友會に赴きたり。獨り進歩黨の領袖として、操守堅固の壯年政治家として議院の内外に高名なりし尾崎行雄氏[#「尾崎行雄氏」に丸傍点]が十數年以來利害苦樂を共にせる政友に別れて、一人の知己を有せざる政友會に投じたる行動の如きは、一個未了の疑問として政界に存在せり。されど余を以て之れを觀れば、彼れの行動は極めて單純なる目的に出でたるに外なら
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