らしめむことを欲すといふの事項稍々政綱らしきを見るのみ。而も是れ何人も異存なかる可き名辭《ステートメント》の排列にして、一黨の政綱としては、餘りに漠然にして殆ど要領を認むるに難し。されど余の政友會に期する所は[#「されど余の政友會に期する所は」に白丸傍点]、國家經綸の施設よりも[#「國家經綸の施設よりも」に白丸傍点]、寧ろ黨弊刷新に在り[#「寧ろ黨弊刷新に在り」に白丸傍点]。是れ伊藤侯の政友會を發起したる主要の目的亦此に存すればなり[#「是れ伊藤侯の政友會を發起したる主要の目的亦此に存すればなり」に白丸傍点]。但だ最も黨弊に浸潤せる舊自由黨を最大要素とせる政友會を率ゐて[#「但だ最も黨弊に浸潤せる舊自由黨を最大要素とせる政友會を率ゐて」に白丸傍点]、果して能く黨弊刷新の目的を達し得可しとする乎[#「果して能く黨弊刷新の目的を達し得可しとする乎」に白丸傍点]。是れ甚だ余の疑ふ所なり[#「是れ甚だ余の疑ふ所なり」に白丸傍点]。現に侯が田口卯吉氏に請ふに政友會に入らむことを以てするや、彼は侯に向て極度に腐敗せる舊自由黨を主力としたる政友會の、到底黨弊刷新を期し得可き謂れなきを論じて入會を謝絶したり。島田三郎氏の如きも亦彼れと同一なる觀察に依りて政友會と接近するを避けたり。清流の士の政友會に赴かざる所以は實に此れが爲めなり。

      (三)創立の參謀
 政友會の創立に與かれる參謀としては、先づ舊自由黨總務委員を以て重もなる人物と爲さざる可からず。されど伊藤侯の計畫は、勉めて各種の人物と各階級の代表者を網羅するに在り故に投票權の多少よりいへば、舊自由黨最も多數の創立委員を出だす可き筈なれども、十二人の創立委員中舊自由黨より擧げたるものは僅に四名の總務委員にして、其の餘は總べて舊自由黨以外の人物を指名したりき。
 此等の創立委員中最も新らしき印象を世人に與へたる人物は、男爵本多政以氏[#「男爵本多政以氏」に丸傍点]と爲す。彼れは前田家の舊大老にして、維新前は五萬石を領したる加賀の名族なり。其の公人生涯に入りしは、今囘の政友會創立に與かれるを以て始めと爲すが故に、其の人物經歴共に未だ多く人に知られずと雖も、傳ふる所に依れば、彼は從來實業に從事して嘗て政治運動に關係したることなく、唯だ其の名望の高きと、其の風采の酷だ近衞公に肖たるものあるを以て、加賀の近衞公と稱せられたりとい
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