に袷を三枚仕上げた時には、電灯の下の眼も霞んだことがありましたわ」
これであらかたの話の種も終ったのであったが、私は新らしくとよ子を見直す思いがした。この額の清い瑞々しい面をした娘が、これほどの悲しみや苦労を内に湛えていたとは、ふしぎなほどであった。
無口で返事がわるいと、嫂たちにおこられて来たそうだけれど、無理な仕事の疲れや、再発の兆《きざし》で物憂いこともあったにちがいなかった。
病室には暑い日がやって来た。いったん歩行がつきはじめてからは、私はテレスの風の吹き通う藤懸の下に出ずにはいられなかった。八月のはじめにかかってからは、草藪の繁りもひどかった。白花を点々と咲かせた箒草や、鋸のような葉を尖がらせた薊や、いろいろのいらくさや、きれいな野菊やひる顔や、水引草や、一本の高い茎に細長い葉だけを瓶洗いのブラシみたいに飾った途方もないつまらぬ草や、そういう無数の繁みに、さらに匍いまわる、いろいろな蔓草が、繁りを締めつけて、日の目も射さぬ草の丘をあちこちに盛りあげていた。
雑草の可憐な花を愛した私は、また雑草のなかにいかに本物の草に似せたものがあるかにも、今さらおどろいていた。ある夕方勤務を了えた看護婦さんがテレスにいた私に、鉄柵ごしに一抱え[#底本は「一抱へ」、32−10]の野草を摘んで渡してくれた。
「なかなか、野趣でしょ」と看護婦さんが云うので、私も親切に答えて早速花瓶に挿しましょうと云った。
野草を揃えなおしてみると、萩に似てそうでないもの、麦に似てそうでないもの、蘭や碗豆や水引草に似て悉くそうでないもの、それらのいかにも似方に努めている野草の姿には、また別の憐れさもあった。
試みに私は手もとのうすい植物略図を手にとってみると、猫萩というのがあり、イヌ麦というのがあり、じゃのひげ、鴉の豌豆、おにどころ、などというのが目に入り、今私の見ている雑草がそれらしくもあった。
病床のひまで私はこれを、矢張り自然の意志の中に生きる雑草のはかない努力と思って、何となく身につまされた。不完全なものの悲しみはこういう世界にもあって、本性がどうしても足らないのであった。
だが野草の中にも純粋なものがあった。露草、野菊、蚊帳つり草、風ぐさなどは私の眼にはささやかでも、本物に咲く草花と一緒に好もしかった。で、私はそれらをえり分けて花瓶に挿した。
暑さが募ってきてからは、とよ子は手まわりの用事にもけだるさを見せていたが、たずねてみると、腸の工合がわるくなって困ってるとのことだった。
もう十日ほどもとよ子の許へは誰れも来なかったので、私が代って検温に来た看護婦の主任さんに、とよ子さんの苦痛を伝えてあげた。主任さんは
「そういう変化は一日でも二日でも黙っていては困りますよ。投薬の関係もありますからね」ととよ子に注意した。
かの女はあとでなんとなく寂しい顔つきを見せて、静かに臥っていた。
「もうだいぶお家から見えませんね」
「ええ、私も毎日毎日私の窓から見える野道の方を見詰めていますの、長兄の白麻の洋服はどんな遠くからでも見わけられますもの」
「もう、そう云っている間に来られるかもしれませんよ」
「でもたいてい、あなたのおじさまの姿が歩いてこられるんですもの」
「もう見分けられますの」
「ええ豆粒みたい遠くからでも。おじさまはご親切ね、私の掌の傷をあんなに心配したりして」
坂上とよ子が元気がなくなってからは、私も妙にさびしかった。テレスへ出てもとよちゃんもいらっしゃいと呼べないので、あたりに出ている人たちとよもやまの話をした。大体にこの病棟には重い人がいるので、喉頭でどうしても臥ていられないと云うような、非常に重態の一人のほかにはあまり変った顔ぶれもなかった。
中で仕合せと回復に向っている、二三の青年や、一人の若い女性などがテレスの常連というわけであった。
「この草っぱらと畑の総面積は、どのくらいあると思う」と、母親の附添で仕合せな、せいたか[#底本は「せいだか」、34−9]坊やの通称のある瀬田青年が口をきると、
「まず五千坪だね」と、口を尖らせるので蛸さんと綽名のある料亭の一人息子が、さっそく見積りをつけた。
「冗談じゃない。では山野さんは?」
私に問いを向けられると、私の眼が殆ど数字で現わせるほどの、どんな見当もついていないのに、全然まごついて了った。
「どうも見当がつきませんよ」
「では双葉さんは」
顔色が明るいほど白いので、お月夜さんと呼ばれていた双葉さんは
「二万坪あまり、間違いなし」と云った。
背高ぼうやは背を反らして、
「ほう、僕なら一万坪見当だ。いったい」と蛸の肩を突衝いて、よろけるのをまたぐいと引き寄せて
「君の眼はどだい節穴だよ」
「そうかい」
「ちと確りしろ。ところで双葉さんは大袈裟だなァ、ちとヒステリカルじゃ」
答えなかった私は這々のさまで、自分の室へひきあげた。およそ雑談はこういう種類の罪のないもので、正しい見当は誰れにも判らないくせに、節穴やヒステリカルでもおさまっていた。
とよ子がベッドで外の話声を聴いて、蛸さんて実に名の通りだなどと、おかしげに云った。
「私が窓から見ましたら、口を尖らせる時には額に三本横筋が寄りましたの、このテレスを通る時にはいつでも私を覗いていたりして、おかしなひと」
おどろいたことにはその翌朝廊下を通る蛸さんを見ると、額に大きな絆創膏を貼っていた。皺伸ばしを説明しているのをきいても、私はあまり驚けなかった。病院というところは、誰れが熱を出した、誰れが血痰したというような細事をまで声なき声のように疾風迅雷的に耳から耳に伝わるものであった。とよ子の声がいやしくも他人に係わっていた限り、反響を起したのもふしぎはなかった。
病院内の交際などで病人たちが慰め合ってる気風もとよ子に次第にわかりはじめ、時折りは長兄の見舞を待ちわびる気持も、周囲の空気のなかに紛[#底本は「粉」、35−17]らかされていた。
何かの歌謡曲を澄んだ丸味のある声で唱っていたりして、腹痛の柔らいでいる時には、何か思い出している様子も見せた。
「山野さん、私ね、まだ男のかたと一度も交際してみたことありませんでしたの。私の故郷の方ではお盆のころ山の方へ若いひとたちがあつまって、笛を吹いたり踊ったりすることになってましたけれど、私は一度も行きませんでしたの」
私はなんと答えようもなかった。とよ子も何処かで短かい生涯を予感してでもいるのであろうか、若い娘がこういう心の寂しさまで私に開いてみせてくれたことが、あまりにも私の心を打ち、と云って不吉な予感など持つ自分が忌まわしくあった。
「今にとよ子さんも達者になれば、いくらでもお友達はできますよ」
「そうでしょうか」
あどけない眼つきで、来る日を夢みる様子でもあった。
十五日ほど指折り数えていたあとで、待ちわびていた長兄の代りに、嫂がふいに病室の扉を引いてはいってきた。
野径を油断なく見詰めていたはずのとよ子も、瞬間ギョッ[#底本は「ギョツ」、36−13]としたように嫂の近づく[#底本は「近ずく」、36−13]姿に眼を向けた。
色の小黒い、眼鼻立ちも見分けられぬほど固く凝り結んだ顔つきであった。人間がひとつの不快な思いを長い間積み重ねて、突然その思いの現われる場所にふりむいた顔つきがこれに似ていた。世間にいくらでもつきあたる顔つきでもあった。
とよ子の嫂は塑像のように、肩も、垂れた両腕も動かさずに、爪先だけでそっととよ子の方へ歩み寄って行った。
低い銹びた声がすぐ何事か云いはじめた。
「今朝病院から手紙が来てね、とよちゃんに附添さんが要ると云って来たんだが、いったいどうしたと云うの、え?」
私のベッドの方へ洩れてくる声は、手にとるように近かった。嫂の声には義妹の容態の悪化を案じるよりも、病院の申出に至らしめたとよ子の現在を詰問する口ぶりの方が、あらわであった。
とよ子は口ごもって、何も答えられずにいた。
「え? どうしたのさ。病院に入ってこうしてお医者や看護婦さんにお世話になっていて、何が不足? いったい附添さんが要るほど悪くなったと云うの」
「いいえ、私は知らないの。病院の方で定めてそう通知したものとみえるわ」
「ふん」嫂はしばらく声をとぎらせた。
とよ子の啜り泣く声がきこえはじめた。私は息をのんだが、この短かい沈黙の間に、どれほど多くの二人の感情が揉み合ったかは、察せずにはいられなかった。
嫂はまた低い声ではじめた。
「あんたも家《うち》の事情は知っているだろうね、長兄さんも銀行は寸暇もなく忙しいし、それに事変が始ったのでいつなんどき召集されないとも判らないんだよ。たいていのことは我慢できないの」
答える代りにとよ子の啜り泣きは、昂まった。
「なぜ黙っているの。相変らず強情ね。それなら帰りますよ」
「ごめんなさい嫂さん。矢張り私は今苦しいんだもの」
「え? 苦しいんだって。そんなに動けなくなっているの」
「動くとせつないの。だから病院と相談してから帰って下さいな」
また今度は長い沈黙がつづいた。嫂の眼はどこに注がれているのであろうか、とよ子の啜り泣きは途切れ、ややして再び声をあげるまでに激しくせき上げていた。
「泣いてるから駄目!」と、しばらくして嫂の肝癪の声が低く迸った。「もう帰るよ。畑の道に子供も待たせているし、それに今日は私は様子を見に来たんだからね。改めて次兄《ちいにい》さんとも相談して、それから病院とも話合ってみようよ。いいね」
「………」
「いずれ次兄さんかおたきさんにもこっちへ来てもらうから、それまで待っとくれ、ね? 待つでしょう?」
そう云うと、とよ子の泣き声をあとにして来る時と同じ塑像の動いて行く足どりで、私のベッドの傍らをもすぎ、扉の外へ姿を消して行った。
とよ子の病床も、こういう背景に置かれてあったと、私はあとで感じを新らたにした。私自身の入院に至るまでの苦境、私の亡児の忍耐多かった短かい生涯、溯れば私の心の傷む思いもそれからそれへと際限がなかった。
心を傷めることの少ない病床は、同じ病床でも遙かに倖せであった。およそ肉体の病気に拍車をかけるものは、精神の苦痛にまさるものはなかった。とよ子の啜り泣きは、かの女の心への今が今の噛みくだかれた虐待に相違なく、私はこの危うさをまず救いたいのでいっぱいとなった。
「とよちゃん、もう泣くの止しましょう。心をきつく持って、何んでも用事は看護婦さんにお頼みなさいね。たべたい物などは、うちのおじさまにも云えば買ってきてくれますし」
こう急いで宥めると、とよ子は思いのほかきれいに涙を収めてくれた。
私たちの室とちがって、隣室のせいたか坊やのベッドのまわりには、いつも陽気な笑声があった。母一人子一人と語るその老いた母が、戸締りの自宅をあとにして、一人息子の附添いに通い、歩き廻ってるものを捕えて、皮膚の摩擦まで行ってやっていた。
息子は坊やと云われるのがいたく不足で、これでも拓殖大学生なんだぞ、病気をしないでみろ、今ごろはヒリッピンあたりで活躍しているんだぞと啖呵をきった。それだのに健康帯という腹部をがっちりと締めあげる用器を、水筒の紐かなぞのように肩にかけたりしている時には、母親に見つけられちゃんと用器に使命を果させるように命ぜられていた。
見かけた人が笑って行くと、何しろ十二円もしたんだからなと瀬田青年は頭を掻いた。母も涙を溜めて笑い、この世話のかゝる息子にこの世に残された満足のすべてを感じている様子をその老いた全身で沁々と表わしていた。
「私たち母子は可哀想なものですよ。あれに若しものことでもあれば、私は生きてる空はありません」と、その老いた母は私にも語っていた。息子が早く癒って兵隊に行くんだと云えば、無理もない、人なみにお前もなりたいであろうと、母はそういう時にはひとり残される寂しさは曖にも出さなかった。
ある時は態々私のベッドにも立寄って、その母は家主の白痴の老嬢が縁から転落して脳震蕩を発して急死したことを告げた。私はうっかりしていて、何ん
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