う云うと、とよ子の泣き声をあとにして来る時と同じ塑像の動いて行く足どりで、私のベッドの傍らをもすぎ、扉の外へ姿を消して行った。
 とよ子の病床も、こういう背景に置かれてあったと、私はあとで感じを新らたにした。私自身の入院に至るまでの苦境、私の亡児の忍耐多かった短かい生涯、溯れば私の心の傷む思いもそれからそれへと際限がなかった。
 心を傷めることの少ない病床は、同じ病床でも遙かに倖せであった。およそ肉体の病気に拍車をかけるものは、精神の苦痛にまさるものはなかった。とよ子の啜り泣きは、かの女の心への今が今の噛みくだかれた虐待に相違なく、私はこの危うさをまず救いたいのでいっぱいとなった。
「とよちゃん、もう泣くの止しましょう。心をきつく持って、何んでも用事は看護婦さんにお頼みなさいね。たべたい物などは、うちのおじさまにも云えば買ってきてくれますし」
 こう急いで宥めると、とよ子は思いのほかきれいに涙を収めてくれた。
 私たちの室とちがって、隣室のせいたか坊やのベッドのまわりには、いつも陽気な笑声があった。母一人子一人と語るその老いた母が、戸締りの自宅をあとにして、一人息子の附添いに通い、歩き廻ってるものを捕えて、皮膚の摩擦まで行ってやっていた。
 息子は坊やと云われるのがいたく不足で、これでも拓殖大学生なんだぞ、病気をしないでみろ、今ごろはヒリッピンあたりで活躍しているんだぞと啖呵をきった。それだのに健康帯という腹部をがっちりと締めあげる用器を、水筒の紐かなぞのように肩にかけたりしている時には、母親に見つけられちゃんと用器に使命を果させるように命ぜられていた。
 見かけた人が笑って行くと、何しろ十二円もしたんだからなと瀬田青年は頭を掻いた。母も涙を溜めて笑い、この世話のかゝる息子にこの世に残された満足のすべてを感じている様子をその老いた全身で沁々と表わしていた。
「私たち母子は可哀想なものですよ。あれに若しものことでもあれば、私は生きてる空はありません」と、その老いた母は私にも語っていた。息子が早く癒って兵隊に行くんだと云えば、無理もない、人なみにお前もなりたいであろうと、母はそういう時にはひとり残される寂しさは曖にも出さなかった。
 ある時は態々私のベッドにも立寄って、その母は家主の白痴の老嬢が縁から転落して脳震蕩を発して急死したことを告げた。私はうっかりしていて、何ん
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