撃が来なかつたとしたら、親たちの真味のことも知らずに了つたに違ひない。気持の喰ひ違ひとか、理解の齟齬とか、感受性の遅速とかにも多少「時」のもつ戯れが考へ合されるとすれば人間はそれぞれの通過する道程に神秘感を持合せずにはゐられないのが当然であらう。「父と子」のバザロフといふ息子の立場も、彼れの思想的や、独在的な面白さよりも父と子を距てる「時」の激しい特殊な流れの方に、このごろ私は余計眼を向けて考へさせられるやうになつてゐる。
 それはさて、あの学友の上に見た穏やかな年齢のとりかたには、近頃特に心を搏たれた。ともすれば反し、逆らひ、愕ろかす時の悪戯性から見れば、それはまことに稀れに見る、やさしい「時」の慈母に守られてきた姿ではなかつたらうか。



底本:「日本の名随筆91 時」作品社
   1990(平成2)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「鷹野つぎ著作集 第二巻」谷島屋
   1979(昭和54)年4月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年8月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鷹野 つぎ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング