ト云ハレ、又今戸公園ニ旋風ガ襲ツタトキ待乳山邊迄大イニ荒レタサウデアル。又今戸八幡デ旋風ニ遭ヒ、身體ガ浮イタトイフ老婆ノ實驗談ヲ聞イタ。
九月二日午後五時頃、當時燒跡ニ歸來シ、境内ニ掘立小屋ヲ作ツテヰタガ、南方カラ大判罫紙ノ燒焦ゲタ片ガ數多落チテ來タ。
(此項モ東京朝日新聞ノ「探シテ居ルモノ」ヘノ寄稿デアル。詳細ナル記述ヲ謝スル)
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 といふわけで、ここまでは僕も相當得意であつたところ、それから四五頁後のところに先生は
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以上ハ災後二三ヶ月以内ニ著者ノ手許ニ集ツタ材料ノ大要デアル。此等ノ中ニハ可也信用ノ置カレルノモアリ、又可也怪シイモノモアルガ、此點ニ就テハ一切私見ヲ加ヘルコトナシニ、其儘ヲ採録シタ。談話者又報告者ノ言葉モナルベク保存シ、話ノ順序、ノ混雜シタノヤ不得要領ナノモ故意ニ其儘ニシテ置イタ、サウシタ方ガ史料トシテノ價値ヲ損ジナイト思フカラデアル。
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 と書かれてあつて、僕の得意の鼻はぽきんと折れてしまつた。
 先生はなほこれらの史料を過信することを戒められ、
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兎モ角モ人間ノ眼デ見タ證據程當テニナラナイモノハナイトイフ、心理學上ノ事實ハ、吾々ノ忘レテナラナイ誡デアル。
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 と、止めを刺されてゐる。僕としては、もつと常識を廣くして置いて確實な觀測をすればよかつたのにと、千載の一遇[#「千載の一遇」は底本では「千較の一遇」]を棒にふつてしまつた事を殘念に思ひ、かへつて寺田先生を悦ばせることの少なかつたことを遺憾に思つてゐる。しかし先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノートは、實見者たる僕の同感する點が多い。だから、矢張り報告書をさしあげてよかつたと思つてゐる。
 寺田先生と一度お目に懸つてこんな思ひ出話をする好機を得たかつたが、遂にそのことなくして終つたのは、これまた心殘りである。
    ×      ×      ×
 先生のやうに、神か幼兒のやうに素直に物理學を專攻せられるの士は、他に類例があるまいと考へる。多少それに似た事をやる方はあつても、その心組みその悟りに於ては、蓋し雲泥の差があると思ふ。
 寺田先生の豪さには、明治大正昭和を通じて誰も傍に寄れる者がなからうと信ずる。
[#地付き]『科学ペン』昭和十二年十二月号



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