ないのです。とは知りながらも、雄鶏《おんどり》はときどき何か癪《しゃく》にさわることがあると見えます。その証拠には、雄鶏はときどき間の抜けた様子をして、のどもさけよと叫び立てるのでした、――『結構《ケッコウ》ドコロジャアリャシナーイ※[#感嘆符二つ、1−8−75]』
 おや、いつの間にか私たちは、あの一ばん暑さのきびしい草場を離れて遠くへ来てしまいましたが、実はその草場には、昼寝もせずにいるお歴々が、車座になってすわっていたのでした。といってもみんながみんなすわっていたわけではありません。たとえば年寄りの栗毛《くりげ》などは、馭者《ぎょしゃ》のアントンのむちを横っ腹へ食らいはしまいかとたえずびくびくしながら、乾草の山をかき分けているのですが、これは馬のことですから、もともとすわるなんて芸当はできないのです。またゆくゆくは何かの蝶《ちょう》になる毛虫も、やはりすわっているのではなく、まあ腹んばいになっている方でした。でも言葉の穿鑿《せんさく》なんぞはどうでもよろしい。とにかく桜の木陰に、小人数ではありますが、たいへんまじめな会合が開かれていたのでありました。かたつむりもいれば、くそ虫もいます。とかげもいれば、いま言った毛虫もいます。こおろぎも駆けつけて来ました。かたわらには年寄りの栗毛までがたたずんで、ねずみ色の耳毛が中から勢いよくはえている大きな片耳を、一座の方へそばだてながら、連中の演説をじっと聞いておりました。その背中には、はえが二匹とまっておりました。
 さて一座の面々は、言葉こそ鄭重ではありましたが、それでもかなり活気のある議論を戦わしておりました。かつまた、こうした場合のご多聞に漏れず、だれ一人として相手の意見に賛成するものはありませんでした。てんでに自分たち独特の考え方や気質によって、勝手な熱をあげていたからであります。
「私に言わせると」と、くそ虫が申しました、「いやしくも道をわきまえた動物は、まず何よりも子孫のことに思いをいたすべきです。生活は来たるべき世代のための労働なのである。こうした自覚をいだいて、大自然がおのれに課し与えた義務を果たそうとする者こそ、確乎《かっこ》たる地盤のうえに立つ者と言うべきであります。けだし彼はおのれの分《ぶん》を知るがゆえに、たとえ何事が起ころうと、彼は責任を問わるべきではないからであります。この私をご覧なさい、私ほど
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