七五調又はこれに近似の定形律に陥らずに済むか済まぬか、答は恐らく現在のところでは否であろう。僕は念のため或る言語学者に質《ただ》してみたことがあるが、彼もやはりそれが日本語の本質だと答えた。では日本語は本質的に散文語ではないのか。これは恐らく、日本の言語の全般にわたり、且《か》つ全歴史にさかのぼって、慎重に考慮されねばならぬ問題であるだろう。
抽象性の問題にせよ、散文音律の問題にせよ、これは必ずしも日本語にとって病疾ではないのかも知れぬ。ただこの今日のわれわれの口語というものが発生以来なお日が浅く、且つ発祥地たる東京が不幸にしてあらゆる方言の奇怪な雑居地帯であったため、謂わばまだ白湯《さゆ》がねれていず、散文という結構なお茶を立てるには適せぬだけの話かも知れぬ。いずれにせよ、鉄瓶《てつびん》であるか白炭であるかは知らね、柄にもない風流な役目が、現在のところ飜訳家の肩にのしかかっていることは否めないと思う。
[#地から2字上げ]6.※[#ローマ数字3、1−13−23].1936
[#地から1字上げ](発表紙未詳)
底本:「大尉の娘」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年5月2日第1刷発行
2006(平成18)年3月16日改訂第1刷発行
底本の親本:「神西清全集 第六巻」文治堂書店
1976(昭和51)年発行
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2−67)と「≫」(非常に大きい、2−68)に代えて入力しました。
入力:佐野良二
校正:noriko saito
2008年5月20日作成
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