ろはじきに忘《わす》れてしまったのです。その後《ご》、たまにマレイに出あっても、おおかみのことだけでなく、なんの話だって、一度もしたことはありません。それがどうでしょう、二十年もたったきょう、このシベリアの監獄《かんごく》の中で、ふいにあのときマレイに出あったことが、これほど目に見えるように、こまかいすみずみまで、はっきりと思いだされたのです。つまり、あのマレイとの出あいは、わたしの魂《たましい》の奥《おく》に、わたしがちっとも気がつかないのに、ひとりでにいつのまにかはいりこんでいて、ちょうど必要《ひつよう》なときになって、ふいに浮《う》かび出たわけです。あの貧乏《びんぼう》な百姓《ひゃくしょう》の、やさしい、まるで母親《ははおや》のようなほほえみだの、お祈《いの》りの十|字《じ》のしるしや、あの首《くび》を横《よこ》にふりながら、「ほんに、さぞたまげたこったろうになあ、なあ坊《ぼう》」と言ってくれた声などが、わたしの頭《あたま》に浮かんだのです。とりわけはっきり思いだすのは、わたしのひくひくひっつれるくちびるに、おずおずと、やさしさをこめて、そっとさわった、あの土だらけの太《ふと》い
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