りの者わづか五百騎ばかりを以て、天界橋《てんがいばし》より攻め入る大敵を引受け、さんざんに戦はれましたのち、大将はじめ一騎のこらず討死《うちじに》せられたのでございますが、戦さ果てても御|遺骸《いがい》を収める人もなく、犬狗《いぬえのこ》のやうに草叢《くさむら》に打棄《うちす》ててありましたのを、やうやく御生前に懇意になされた禅僧のゆくりなくも通りすがつた者がありまして、泣く泣くおん亡骸《なきがら》を取収め、陣屋の傍に卓《つくえ》を立て、形ばかりの中陰《ちゅういん》の儀式をしつらへたのでございます。ところが或る日のこと、ふとその禅僧が心づきますと硯箱《すずりばこ》の蓋《ふた》に上絵《うわえ》の短冊が入れてありまして、それには、
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さめやらぬ夢とぞ思ふ憂《う》きひとの烟《けむり》となりしその夕べより
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と、哀れな歌がしたためてあつたと申すことでございます。人の噂《うわさ》では、これはさる公卿《くぎょう》の御息女とこの六郎殿と御契りがありまして、常々|文《ふみ》を通はせられてをられましたが、その方の御歌とか申しました。この物語を耳にしましたとき、あまりの事の似通ひにわたくしは胸をつかれ、こればかりは姫のお耳に入れることではない、この心一つに収めて置かうと思ひ定めましたが、なほも日数を経て何ひとつお土産《みやげ》話もない申訳なさに、ある夕まぐれついこのお話を申上げましたところ、もはや夕闇にまぎれて御|几帳《きちょう》のあたりは朧《おぼ》ろに沈んでをりますなかで、忍び音《ね》に泣き折れられました御様子に、わたくしも母親も共々に覚えず衣の袖《そで》を絞つたことでございました。
 そのやうな不吉な兆《きざ》しに心を暗くしながらも、なほもお跡を尋ねてその日その日を過ごしてをりますうち、やがて十一月の声を聞いて二三日がほどを経ました頃でございます。わたくしは今出川の大路を東へ、橋を越して尚《なお》もさ迷つて参りますうち、地獄谷への坂道にやがて掛らうといふあたりで、のそりのそりと前を歩んで参る僧形《そうぎょう》の肩つきが、なんと松王様に生き写しではございませんか。もしやとお声をかけてみますと、振向かれたお顔にやはり間違ひはございませんでした。やれ嬉《うれ》しやとわたくしは走せ寄りまして、お怨《うら》みも御祝著《ごしゅうちゃく》も涙のうちでございます。「いや許せ許せ。俺《おれ》が悪かつたよ」と相変らずの御|豁達《かったつ》なお口振りで、「俺はあれからこつち、この谷奥の庵《いおり》に住んでゐる。真蘂《しんずい》和尚と一緒だよ。地獄谷に真蘂とは、これは差向き落首《らくしゅ》の種になりさうな。あの狸《たぬき》和尚、一思ひに火の中へとは考へたが、やつぱり肩に背負つて逃げだして、あとから瑞仙《ずいせん》殿に散々に笑はれたわい。まあこの辺が俺のよい所かも知れん」などと早速の御冗談が出ます。まあ少し歩きながら話さうとの仰《おお》せで、わたくしの差上げました御消息ぶみ七八通を、片はしより披《ひら》かれてお眼を走らせながら、坂を足早に登つて行かれます。池田のあたりから右へ切れて、小高い丘に出たところで、さつさとその辺の石に腰をおかけになります。「まあそなたも坐《すわ》れ。ここからは京の焼跡がよう見えるぞ」とのお言葉に、わたくしも有合ふ石に腰をおろしました。
 わたくしは更《あらた》めて一望の焼野原をつくづくと眺めました。本式の戦さが始まつてより、まだ半年にもならぬ間に、まつたくよくも焼けたものでございます。ちやうど真向ひに見えてをります辺りには、内裏《だいり》、室町殿、それに相国寺の塔が一基のこつてをりますだけ、その余は上京《かみぎょう》下京《しもぎょう》をおしなべて、そこここに黒々と民家の塊《かたま》りがちらほらしてをりますばかり、甍《いらか》を上げる大屋高楼は一つとして見当りません。眺めてをりますうちに、くさぐさの思ひが胸に迫り、覚えずほろほろと涙があふれさうになつて参ります。松王様も押黙られたまま、姫の御消息を打ち返し打ち返し読んでをられます。沈黙《しじま》のうちに小半時もたちましたでせうか。……
 と、松王様はゆきなりお文を一くるみに荒々しく押し揉《も》まれて、そのまま懐《ふところ》ふかく押し込まれると、つとこちらを振り向かれて、「どうだ、よう焼けをつたなあ。相国《てら》も焼けた、桃花文庫《ふみぐら》も滅んだ、姫もさらひそこねた、はははは」と激しい息使ひで吐きだすやうにお話しかけになりました。例になく上ずつたお声音《こわね》に、わたくしは初めのうちわが耳を疑つたほどでございます。わたくしが何と申上げる言葉もないままでをりますと、松王様は尚《なお》もつづけて、お口疾《くちど》にあとからあとから溢《あふ》れるやうに
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