でをりました東西両陣は、京のぐるりでそろそろ動き出す気配を見せはじめます。七月の初《はじめ》には山名方が吉田に攻め寄せ、月ずゑには細川方は山科《やましな》に陣をとります。八月になりますと漸《ようや》く藤ノ森や深草《ふかくさ》のあたりに戦《いくさ》の気配が熟してまゐり、さてこそ愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》東山にも嵯峨《さが》にも火のかかる時がめぐつて来たと、わたくしどもも私《ひそ》かに心の用意を致してをりますうち、その十三日のまだ宵の口でございました。遽《にわ》かに裏山のあたりで只《ただ》ならず喚《わめ》き罵《ののし》る声が起つたかと思ふうち、忽《たちま》ち庫裡《くり》のあたりから火があがりました。かねて覚悟の前でもあり、幸ひ御方様も姫君も山門のほとりの寿光院にお宿をとつておいででしたから、東福寺の方角にはまだ何事もないらしい様子を見澄まし、折からの闇にまぎれて、すばやく偃月橋《えんげつきょう》よりお二方ともお落し申上げました。
 残りました手の者たちとわたくしは、百余合のお文櫃《ふみびつ》の納めてあります北の山ぎはの経蔵のほとりに佇《たたず》んで、成行きをじつと窺《うかが》つてをります。当夜は風もなく、更にはまた谷間のことでもあり、火の廻りはもどかしい程に遅く感ぜられます。そのうちに食堂《じきどう》、つづいて講堂も焼け落ちたらしく、火の手が次第に仏殿に迫つて参ります頃には、そこらにちらほら雑兵《ぞうひょう》どもの姿も赤黒く照らし出されて参ります。どうやら西方の大内《おおうち》勢らしく、聞き馴《な》れぬ言葉|訛《なま》りが耳につきます。そのやうな細かしい事にまで気がつくやうになりましたのも、度重なる兵火をくぐつて参りました功徳《くどく》でもございませうか。やがて仏殿にも廻廊づたひにたうとう燃え移ります。それとともに、大して広からぬ境内《けいだい》のことゆゑ、鐘楼《しゅろう》も浴室も、南|麓《ろく》の寿光院も、一ときに明るく照らし出されます。こちら側の経蔵もやはり同じことであつたのでございませう、松明《たいまつ》を振りかざした四五人の雑兵《ぞうひょう》が一散に馳《は》せ寄つて参りました。その出会ひがしらに、思ひもかけぬ経蔵の裏の闇から、僧形《そうぎょう》の人の姿が現はれて、妙に鷹揚《おうよう》な太刀《たち》づかひで先登の者を斬《き》つて棄《す》てました。
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