、さながら憑物《つきもの》のついた人のやうにお話しかけになります。それが後では、もうわたくしなどのゐることなどてんでお忘れの模様で、まるで吾《われ》とわが心に高声で言ひ聴かすといつた御様子でございました。わたくしは何か不気味な胸さわぎを覚えながら、じつと耳を澄まして伺つてをりました。いろいろと難しい言葉も出て参りますので一々はつきりとは覚えませんけれど、大よそはまづ次のやうなお話なのでございました。
「この焼野原を眺めて、そなたはさぞや感無量であらうな。俺も感無量と言ひたいところだが、実を云へば頭の中は空つぱうになりをつた。今日は珍しく京のどこにも兵火の見えぬのが却《かえ》つて物足らぬぐらゐだ。俺は事に餓《う》ゑてをる。事がなくては一日半時も生きてはゆけぬと思ふほどだ。それを紛らはさうと、そなたはよもや知るまいが、俺は夜闇にまぎれて毘沙門《びしゃもん》谷のあたりを両三度も徘徊《はいかい》してみたぞ。姫があの寺へ移られたことは直きに耳に入つたからな。そしてあの小径《こみち》この谷陰と、姫をさらふ手立をさまざまに考へた。どういふ積りかは知らぬが、仰山《ぎょうさん》に薙刀《なぎなた》までも抱へてをつた。いや飛んだ僧兵だわい。その三晩目に、姫を寝所から引つさらふことは、案外に赤子の首をひねるよりた易《やす》いことが分つた。手順は立派に調つた。そなたなんどは高鼾《たかいびき》のうちに手際よくやつてのけられる。そこで俺は馬鹿《ばか》々々しくなつてやめてしまつた。よくよく考へてみたところ、俺の欲しいのは姫ではなくして事であつた。それが生憎《あいにく》『事』ほどの事で無いのが分つたまでだ。姫のうへは気の毒に思ふ。だが所詮《しょせん》、俺が引つさらつて見たところであの姫の救ひにはならぬ、この俺の救にもならぬ。……
「それ以来、俺は毎日この丘へ登つて、焼跡を見て暮した。何か事を見附けださうとしてだ。どこぞで火煙の立つ日は心が紛れた。それのない日は屈托《くったく》した。さて、恋が事でなかつたとすればお次は何だ。俺はまづ政治といふものを考へてみた。今度の大乱の禍因をなしたのは誰だ、それを考へてみようとした。それで少しは心が慰さまうかと思つたのだ。世間では伊勢殿が悪いといふ。成程《なるほど》あの男は奸物《かんぶつ》だ、淫乱だ、私心もある、猿智慧《さるぢえ》もある。それに俺としても家督を追はれ
前へ
次へ
全33ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング