ます。前《さき》のお二人はわたくしの思ひ違へでなくば、これより先に亡くなつてをられますが、観世《かんぜ》殿が一昨年、金春《こんぱる》殿が昨年と続いて身罷《みまか》られましたのも不思議でございます。それにしましても世の乱れにとつて、歌よみ、連歌師《れんがし》、猿楽師《さるがくし》など申すものに何の罪科がございませう。思へばひよんな風狂人もあつたものでございます。
 わたくし風情《ふぜい》が今更めいて天下の御政道をかれこれ申す筋ではございません。それは心得てをりますが、何としてもこの近年の御公儀のなされ方は、わたくし共の目に余ることのみでございました。天狗星《てんぐせい》の流れます年の春には花頂|若王子《にゃくおうじ》のお花御覧、この時の御前相伴衆《ごぜんしょうばんしゅう》の箸《はし》は黄金をもつて展《の》べ、御供衆《おともしゅう》のは沈香《じんこう》を削つて同じく黄金の鍔口《つばぐち》をかけたものと申します。その前の年は観世の河原猿楽御覧、更には、これは貴方《あなた》さまよく御存じの公方《くぼう》さま春日社御参詣、また文正《ぶんしょう》の初めには花の御幸。……いやいやそんな段ではございません、その公方さま花の御所の御造営には甍《いらか》に珠玉を飾り金銀をちりばめ、その費《つい》え六十万|緡《さし》と申し伝へてをりますし、また義政公御母君|御台所《みだいどころ》の住まひなされる高倉の御所の腰障子《こししょうじ》は、一間の値ひ二万|銭《せん》とやら申します。上《かみ》このやうななされ方ゆゑ、したがつては公家《くげ》武家の末々までひたすらに驕侈《きょうし》にふけり、天下は破れば破れよ、世間は滅びば滅びよ、人はともあれ我身さへ富貴《ふうき》ならば、他より一段|栄耀《えよう》に振舞はんと、このやうな気風になりましたのも物の勢ひと申しませうか。
 その一方に民の艱難《かんなん》は申すまでもございません。例の流れ星騒動の年には、大甞会《だいじょうえ》のありました十一月に九ヶ度、十二月には八ヶ度の土倉役《どそうやく》がかかります。徳政とやら申すいまはしい沙汰《さた》も義政公御治世に十三度まで行はれて、倉方も地下《じげ》方も悉《ことごと》く絶え果てるばかりでございます。かてて加へて寛正はじめの年は未聞の大凶作、翌《あく》る年には疫病《えやみ》さへもはやり、京の人死《ひとじに》は日に幾百
前へ 次へ
全33ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング