申します。この日の戦さの凄《すさ》まじさは後日人の口より色々と聞き及びましたが、ともあれ黄昏《たそがれ》に至って両軍相引きに引く中を、山名方は打首《うちくび》を車八|輛《りょう》に積んで西陣へ引上げたとも申し、白雲の門より東今出川までの堀を埋《うず》むる屍《しかばね》幾千と数知れなかったとも申しております。
さあこの報せが光明峰寺にとどきますと、鶴姫様の御心配は筆舌《ひつぜつ》の及ぶところではございません。早々にお見舞いの御消息がわたくしに托《たく》せられます。それを懐《ふところ》にわたくしが相国寺の焼跡に立ったのは、翌《あく》る日のかれこれ巽《たつみ》の刻でもございましたろうか。さしも京洛《きょうらく》第一の輪奐《りんかん》の美を謳《うた》われました万年山相国の巨刹《きょさつ》も悉《ことごと》く焼け落ち、残るは七重の塔が一基さびしく焼野原に聳《そび》え立っているのみでございます。そこここに死骸《しがい》を収める西方らしい雑兵どもが急しげに往来するばかり、功徳池《くどくいけ》と申す蓮池《はすいけ》には敵味方の屍がまだ累々《るいるい》と浮いておりますし、鹿苑院《ろくおんいん》、蔭凉軒の
前へ
次へ
全65ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング