っきり見知らぬ少女と一緒にいるところを瞼に描いてみるといった調子で、心の中で話をしたり、愛撫したり、相手の肩へしなだれかかったり、さてはまた、戦争や別離や、その後の再会を思い描いたり、妻と水入らずの夜食の場面や、子供たちを想像してみたりした。……
「ブレーキをかけえ!」という号令が坂を下りるたびにひびき渡った。
彼もやはり『ブレーキをかけえ』と呶鳴るのだったが、その都度、この叫びが自分の空想を破りはしまいか、自分を現実へ呼び戻しはしまいかとびくびくした。……
ある地主の領地の傍を通りかかった時、リャボーヴィチは外周《そとまわ》りの植込みごしに庭を覗いてみた。彼の眼にうつったのは、長い、まるで定規みたいに真直な並木道で、それに黄色い砂が撒いてあり、白樺の若木が両側に植わっていた。……空想におぼれ込んだ人間に現われるあの執念ぶかさで、彼は婦人の小さな足がその黄色い砂を踏んで行くところを念頭に浮べてみたが、すると全く思いがけなく彼の想像裡には、例の自分に接吻した女の面影、ゆうべの夜食の席で彼がやっとこさで心に浮びあがらせたあの女の面影が、くっきりと描き出された。その面影は彼の脳裡におみこ
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