の底のへんに畳《たた》なわっている有様は、一日一晩オーヴンの中へ入れっぱなしで醗酵させた麦粥にことならず、――だからつまり、書く物のなかへだって、ぐつぐつと濃く出てくるのは理の当然である。ところで今日じゃ、そうした一切が鉄道式のテンポで運ばれるのだ。皿を手にとる――問答無用である。口へ抛り込む――噛むなんて暇はない。ジリジリジーンと発車のベルが鳴りだせば、もうそれで万事休すだ。汽笛一声、またポッポッポと出てゆく。そして残る印象といえばせいぜい、ボーイが釣銭をちょろまかしおったということぐらいなもので、そいつを腹の虫のおさまるまで取っちめてやろうにも、今や時すでに遅しなのである」しかじか。
 すると客の一人が乗りだして、なるほどピーセムスキイの見方は一応おもしろいが、惜しむらくは当っていないと言い、ディッケンズの例をもちだした。この作家は、すこぶるスピード旅行のはやる国でものを書いたのだが、それでいてその見聞も観察もなかなか豊富で、その小説の筋には、別段これといった内容の貧寒さは見られないではないか、というのである。
「もっともこれは、彼の書いたクリスマス物語だけは例外じゃあるけれどね。
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