のぎらつくやうな眼のなかを一心に覗《のぞ》きこんだといふではないか。つかのまの幻覚だつたのだらうか。……それにしても姉さまがあの瘠《や》せこけた小柄な古島さんをしつかり掴《つか》まへて、上からしげしげと覗きこんでゐる図を目に浮べてみると、妙に切ない、それでゐて何かしら笑ひだしたくなるやうな感じを、どうにもできないのでした。千恵はしだいにこつちまで頭が変になつてくるやうな気がしました。
二三日たつて、千恵はまたN会堂へ行きました。それからまた一度、もう一度。……帰りの電車のなかでは、もう決して足ぶみもしまいと決心するのですが、暫《しばら》くするとまた例の謎《なぞ》がだんだん膨《ふく》れあがつて、ついまたふらふらと誘ひ寄せられてしまふのです。古島さんには行会ふ時も行会はない時もありました。本堂の扉はまるでわざとのやうに、いつもぴつたり閉ぢてゐました。いいえ、一度だけ扉がひろびろと開け放されてゐたことがありましたが、その日は何かお葬式でもあるらしい様子で、黒の盛装をした外国人の男女が急がしさうに出たりはいつたりしてゐました。その外国人は、盛装をしてゐるため却《かえ》つて変に貧しさが目につくやうな人たちでした。千恵は暫く物珍らしさうに樹《こ》かげに立つて眺めてゐましたが、古島さんの姿はたうとう見かけませんでした。……
さうかうするうちに病院の実習期も終つて、千恵はまたG博士のお宅で起居することになりました。Hさんにはその後かけちがつて聖アグネス病院ではたうとう会はずじまひでした……。
………………………………………
さうです、母さま、いつそ本当に会はずじまひになつた方が、どれほどよかつたか知れないと思ひます。さうなれば千恵は、しぜん姉さまの消息からも遠のいて、やがて運命の波がふたたびめぐり会ふこともないくらゐ、遠く二人を隔ててくれたかも知れないのです。千恵もじつは内々それを願つてゐました。だのに結局きのふといふ日が来てしまつたのです。
きのふは朝からびしよびしよ降りの雨でした。おまけに季節はづれの生温い風がふいて、窓ガラスがすつかり曇つてしまふほどでした。お午《ひる》近くになつて突然、G博士は何か急な用事を思ひだしたと見え、分厚な封書を千恵に渡すと、すぐ神田O町のある外科病院へ行つて、院長さんの返事をもらつてくるやうに言ひつけました。雨降りの日によくある電話の
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