だつたさうです。何かの用事で構内を横ぎる時など、思はず耳に蓋《ふた》をせずにはゐられなかつたと、Hさんはさすがに眉《まゆ》をひそめて話すのでした。けれど、それはまだまだよかつたのです。やがて二三日すると、屍体はあらかた引取られましたが、それでもまだ二三十体は残つてゐました。それがそろそろ屍臭《ししゅう》を発しはじめたのです。もちろん堂内の窓といふ窓は鉄扉《てっぴ》をかたくとざしてあります。入口の大扉も、引取人が殆《ほとん》ど来つくした今となつては閉めきりになつてゐるので、その異臭が外へもれる心配はまづありません、それなりに、いくら大きなあの本堂だとはいへ、密閉された空気は何しろ春さきのことですから、むうつと蒸れるやうな生温かさです。で、事情を知つた者の鼻には、その本堂から一ばん離れてゐる西門をくぐつた瞬間にすら、異様な臭気がどことなく漂よつてくるやうな気がしたと言ひます。
さすがの司祭さんもたうとう堪《たま》りかねて、残る屍体の引取り方をやかましく警察へ交渉しはじめましたが、さうなると中々らちが明きません、四日目になり五日目になり、たうとう六日目になつてから、やつとトラックが一台きて、どこかへ運んで行つたさうです。けれどやはり載せきれずに、まだ五六体ほど残つたのですが、もうそろそろ夕方近くだつたので、翌る朝でなければ残りは運べないことになりました。
その夕方はじめて、Hさんは本堂へ足を踏み入れてみたさうです。それがどれほど無残な有様だつたかを、Hさんはこまごまと物語りました。あとになつて思ひ合はせると、Hさんが一ばん力を入れて話したのは、ほかならぬその地獄絵のやうな光景だつたらしくさへ思はれるほどです。それを物語るHさんの頬《ほお》には、怪談をして幼い者をおびえあがらせる人の無邪気な情熱と、あの得意の色とがはつきり浮んでゐました。が今晩の千恵には、それを事こまかに母さまにお伝へする興味もなければ、またその必要もありません、地獄絵のあとに、聴く身にとつては何層倍も身の毛のよだつやうな物語が続いたのですから。……
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その夕方、空が晴れわたつてまだ堂内がかなり明るく、それに珍らしくその日は警報の気配がないのを見て、信仰の篤《あつ》いHさんの従姉《いとこ》は、久しく肉の汚れに染められた聖堂のなかを、一まづ清掃してはどうかと司祭さんに
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