る》し下さいまし!」と言った彼女の眼は、涙でいっぱいになった。「ほんとに怖《おそ》ろしいことですわ」
「まるで言いわけでもしているみたいだなあ」
「なんでわたしに言いわけなんぞができましょう? 私はわるい卑《いや》しい女ですもの。自分を蔑《さげす》みこそすれ、言いわけしようなんて考えても見ませんわ。わたしは良人をだましたのじゃなくって、この自分をだましたのです。それも今に始まったことじゃなくって、もうずっと前からのことなんです。わたしの良人は、そりゃ正直でいい人間かも知れません。けれど、あの人と来たらまったくの従僕なんですの! わたくし、あの人がお役所でどんな仕事をしているか、どんな勤めぶりをしているかは存じません。ただあの人が従僕根性なことだけは知っていますわ。わたしがあの人のところへ嫁いだのは二十《はたち》の年でした。わたしは好奇心でもって苦しいほどいっぱいで、何かましなことがしたくてなりませんでした。だって御覧、もっと別の生活があるじゃないか――って、わたしは自分に言い言いしました。面白可笑しい暮しがしたかったの! 生きて生きて生き抜きたかったの……。わたしは好奇心で胸が燃えるよ
前へ 次へ
全43ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング