訳をする。
「二十五銭は金のうちにゃはいらないのかい? その二十五銭という奴を、お前さんだいぶ道々拾っていたっけが([#ここから割り注]訳者註。投げ銭を拾うのである[#ここで割り注終わり])、ばらまいた数だって、もう相当なもんだぜ。」
「だから、セリョージャ、ちょいちょい逢えたじゃないの。」
「ふん、飛んだこった。さんざ辛い目をした挙句に、ちっとやそっと逢えたところでくそ面白くもねえじゃないか! 自分の命《いのち》を呪うのが本当だ、逢曳どころの騒ぎじゃねえぜ。」
「でもセリョージャ、あたしは平気だよ。お前さんに遭えさえすりゃあ。」
「ばかなはなしさ」とセルゲイは答える。
 そうした返事を聞くたびに、カテリーナ・リヴォーヴナは思わず唇を、血のにじむほど噛みしめる。さもなければ、ついぞ泣いたことの無い彼女の眼に、無念さ怨めしさの涙が夜更けの逢う瀬の闇にまぎれてあふれ出る。けれど彼女はじっと腹の虫をおさえて、じっと口に蓋をして、われとわが心をあざむこうと努めるのだった。
 そんなふうな新しいお互いどうしの関係のまま、二人はニジニ・ノーヴゴロドに着いた。ここで彼らの囚人隊は、やはりシベリヤをめざしてモスクヴァ街道からやって来た別の一隊と落ち合った。
 それは大人数の一隊だったが、色々さまざまな連中がどっさりいる中で、婦人班にすこぶる附きの別品《べっぴん》が二人いた。一人はヤロスラーヴリから来たフィオーナという兵隊の女房で、その大柄な身丈といい、ふさふさした黒い渦まき髪といい、悩ましげな鳶色の眼のうえにさながら何か摩訶ふしぎなヴェールのように濃い睫毛がかぶさっているところといい、実になんとも素晴らしい派手な感じの女だった。もう一人は十七になるきりりとした顔だちの金髪娘で、白い肌にはうっすらとバラ色が射し、口もとは小さく締まり、若々しい両の頬にはエクボがあって、金色に光る亜麻色の捲毛が、囚人用の縞入り頭巾のすきから額へちらちらこぼれかかる、といった風情だった。この娘をその隊ではソネートカと呼んでいた。
 美人のフィオーナは、柔和なしまりのない気性の女だった。彼女の隊で、その肌を知らない男はまずいないと言っていいくらいだったが、さて首尾よく彼女をせしめたところで大して恐悦がる男もなければ、彼女が次の男に全く同じ首尾をさせるところを見せつけられても、誰ひとり悲観する者もなかった。

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