ナは呆れて物も言えぬといった風に彼をみつめたが、さりとて怒りの色は見えず、やがて平気な顔でこう言った。――
「この人がそれを言う気だったのなら、何もわたしが頑ばることはありません。いかにも殺しました。」
「どうしてそんなことをしたのか?」と訊かれると、
「この人のためにです」と、うなだれているセルゲイを指して答えた。
 犯人は別々に収監され、そして世間の注目と憤慨の的になったこの兇悪事件は、すこぶる手っとり早く判決がくだった。二月の末、セルゲイと、第三級商人の寡婦カテリーナ・リヴォーヴナの二人は、刑事裁判所で刑の申渡しを受けたが、それによると、まずその居住する町の市場で笞打ちを受けたのち、二人とも徒刑地へ送られることになった。三月のはじめ、凍《い》てつくような寒い朝、刑吏はカテリーナ・リヴォーヴナのむき出しになった白い背中の上に、定めの数だけの青むらさきのミミズ腫れをしるしづけ、つづいてセルゲイの両肩にもきまった本数の鞭をふるった上、彼の美しい顔に徒刑の焼印を三つおしたのである。
 そうした処刑のあいだ、世間の同情はどうしたわけだか、カテリーナ・リヴォーヴナよりも遥かに多くセルゲイの上に集まった。全身あぶら汗と血にまみれて、彼は黒い処刑台から下りるとき何べんか前へのめったが、カテリーナ・リヴォーヴナは落着きはらって下りてきた。ただ厚地の肌着と、ごわごわした囚人外套が、なま傷だらけの自分の背中にへばり着かぬように気をくばっていただけのことだった。
 監獄病院で、生まれ落ちた赤んぼを渡された時でさえ、彼女は『ふん、もう用無しだわ!』と言ったきり、くるりと壁の方へ寝がえりを打って、うめき声一つ、泣きごと一つ立てるではなしに、ごつごつした板どこに胸をぶつけるように倒れたのだった。

      ※[#ローマ数字13、89−5]

 セルゲイとカテリーナ・リヴォーヴナの加わった囚人隊の出発は、春といってもほんの暦の上だけのことで、太陽がまだ下世話にいうとおり、『ぎらぎらしちゃ来たが、まだぽかぽかして来ねえ』頃のことになった。
 カテリーナ・リヴォーヴナの生んだ子の養育は、ボリース・チモフェーイチの従妹にあたる例の婆さんにまかされた。罪の女の殺された良人の嫡男と認められた以上、この子は今やイズマイロフ家の全財産を相続すべき唯ひとりの人物となったわけである。カテリーナ・リヴォーヴ
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