ヴンのお客さんがたは、気分《きーぶん》に障りやすぜ」――そう彼は、玄関の戸を後ろ手にしめながら、溜息まじりに洒落のめした。
「さてそこでと、一体どうしたもんですかな?」――とセルゲイ・フィリップィチが、カテリーナ・リヴォーヴナに問いかけたのは、二人がサモヴァルに向って腰をおろした時だった。――「どうやらこれで、ねえカテリーナ・イリヴォーヴナ、あっしらの大望もおじゃんですぜ。」
「なぜおじゃんなんだい、ええセリョージャ?」
「だってさ、これで何もかも洗いざらい、分け取りってことになるんでしょう。その挙句に残ったなけなしの物じゃ、さっぱり主人になり甲斐がなかろうじゃありませんかい?」
「おやセリョージャ、お前さんには少なすぎるとでも言うのかい?」
「いいや、べつにあっしにどうのこうのと言うんじゃありませんがね。ただちょいと心配なのは、そうなるとつまり、あっしたちの仕合わせにも差し響きはすまいかと、そんな気がするもんでしてね。」
「そりゃまたなぜなのさ? どうして仕合わせまでが消えてなくなるんだい。ええ、セリョージャ?」
「ほかでもありませんがね、あんたが可愛くって可愛くってならねえあっしの気持にして見りゃ、ねえカテリーナ・イリヴォーヴナ、あんたに正真正銘の奥様ぐらしをこそして貰いたいんで、これまでみたいなミミッチイ暮らしなんぞ、まっぴら御免でさあ」と、セルゲイ・フィリップィチは答えた。――「ところが賽の目はがらり外れて、今度こうして元手が減ったおかげで、あっしたちは今までにくらべてさえ、二段も三段もさがった暮らしをしなけりゃならないんでさあ。」
「けどね、セリョージャ、あたしはべつに、贅沢なんかしたくはないことよ。」
「なるほどそりゃあ、ねえカテリーナ・イリヴォーヴナ、あんたにして見りゃ、痛くも痒くもないことかも知れませんや。だがね、少なくともあっしの身にしてみりゃあ、あんたを大事に思えば思うだけ、また一つにゃ、焼いたり妬《ねた》んだりしている世間の野郎どもの目に、あっしたちの暮らしがどう映るだろうかと思うにつけ、なんとしてもこりゃ辛いことでさあ。あんたは勿論、平気の平左でいられるかも知れませんがね、あっしはどうも、万一そんな工合になったら、とても仕合わせな気持じゃいられそうもありませんや。」
 といった調子で、追っかけ引っかけセルゲイは、カテリーナ・リヴォーヴナを焚き
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