クシニューシカ、妙なことがあればあるもんだよ」と、彼女は手ずから小皿を茶ぶきんで拭き清めながら、おさんどんにそれとなく鎌をかけてみた。
「なんですかね、おかみさん?」
「それがね、どうやら夢らしくもないんだけどね、とにかくこうありありと、どこかの猫が一匹、あたしの寝床へちゃんともぐりこんで来たのさ。」
「あら嫌ですよ、おかみさん、まさか?」
「ほんとにさ、猫がもぐりこんで来たんだよ。」
 そう言ってカテリーナ・リヴォーヴナは、その猫のもぐり込んでいた次第を話して聞かせた。
「でもおかみさん、なんだってそんな猫なんぞを、可愛がってやんなすったんですね?」
「うん、つまり、そのことさ! どうして撫でてやる気になったものか、われながら合点がいかないんだよ。」
「妙ですねえ、ほんとに!」と、おさんどんは感嘆した。
「当のあたしだって、考えれば考えるほど不思議でならないんだよ。」
「てっきりそりゃあ、誰かがこう、そのうちひょっくりやって来るというお告げか、さもなけりゃ、何か思いがけないことでもある、という前兆かもしれませんねえ。」
「って言うと、つまり何だろうね?」
「さあ、つまり[#「つまり」に傍点]これこれということになると、そりゃおかみさん、誰にだってはっきりとは申し上げられますまいけれどね、それはまあそうとして、きっと何かありますよ。」
「それまではずっと、お月さまの夢を見ていたんだがね、それから猫が出て来たのさ」と、カテリーナ・リヴォーヴナは先をつづけた。
「お月さんなら――赤ちゃんでございますよ。」
 カテリーナ・リヴォーヴナは頬を紅らめた。
「セルゲイもここへ呼んで、相伴をさしておやんなさいますかね?」と、そろそろ心得顔でせせり出しそうな気合いを十分に見せながら、アクシーニヤはお内儀さんの気を引いてみた。
「ええ、いいわ」と、カテリーナ・リヴォーヴナは応じた、――「なるほど、そうだったわね。ちょっと迎えに行ってきておくれ、お茶を御馳走してあげるからって。」
「それそれ、わたしもそう思っておりましたんですよ、ここへ呼んでやろうとね」とアクシーニヤは釘をさして、よちよち家鴨《あひる》のように庭木戸の方へ歩み去った。
 カテリーナ・リヴォーヴナは、セルゲイにも猫の話をして聞かせた。
「なあに、気の迷いさ」と、セルゲイは片づけた。
「でもさ、気の迷いなら迷いでいいけど、
前へ 次へ
全62ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング