って言われたって淋しがらずにゃいられませんよ! これじゃたとい、よく世間の奥さんがたがなさるように、よしんばほかに誰かいい人があったにしたところで、一目逢うことだって出来やしませんものねえ。」
「え、なんだって?……そんなことじゃないわ。あたしの言うのはね、ただこれで赤《やや》さんが出来さえすりゃ、それだけでもう気が晴ればれするだろうと思うのさ。」
「ですけどね奥さん、こいだけは申し上げときますがね、赤ちゃんが出来るにしたって、ただのほほんとしてたって駄目なんで、やっぱし何か種がなくちゃ始まりません。ねえ奥さん、こうしてもう長の年つき旦那がたのとこで暮らして、商家のお内儀《ないぎ》というものの明け暮れがどんなものかということも、さんざん見あきるくらい見てきていながら、それでもやっぱしお互い何か胸に思いあたることはないもんでしょうかね? こんな唄がありましたっけ――『心の友がないままに、ふさぎの虫にとり憑かれ』ってね。ところで奥さん、このふさぎの虫っていう奴が、こう申しちゃなんですが、ねえカテリーナ・イリヴォーヴナ、じつはほかならぬこのあっしの胸にしたたかこたえましてね、いっそもうあっしは、匕首でもってぐさりとこの胸からそいつを切りとって、ひと思いにあんたのそのおみ足へ、叩きつけてやりたいと思うほどなんです。そうしたらもうその途端に、百層倍もこの胸のなかが軽くなることでしょうにねえ……」
 セルゲイの声はわななきはじめた。
「何さ、そのお前さんの胸のなかだの何だのっていうのは一体? あたしにゃそんなこと、面白くも痒くもありゃしないよ。もういいから、さっさとあっちへおいでな……」
「いいえ、お願いです、奥さん」とセルゲイは総身をわなわなと震わせながら、カテリーナ・リヴォーヴナの方へ一あし踏み出しながら言った。――「あっしは知っています、この眼で見ています、いやそれどころか、はっきりこの胸に感じもし、しみじみお察しもしているんです――あんたの境涯も、あっしに劣らず辛いものだということをね。ね、いいですか、今こそ」と彼は、全くかすれきったせいせい声で、――「今こそ、成るも成らぬも、万事あんたの手の振りよう一つなんですぜ、あんたの首の振りよう一つなんですぜ。」
「何を言いだすんだい? なにをさ? 一たい何しに来たというの? あたし、窓から身を投げるわよ」――とカテリーナ・リヴ
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