風、歌麿《うたまろ》風など、あらゆる艶麗《えんれい》または優美の限りをつくした衣裳が、次々に舞台の上で、精妙な照明の変化のまにまに、静々《しずしず》と着用されてゆくのであつた。着け終ると、舞踊が始まり、つひにプリマドンナが橋がかりの突端まで進み出て、妖艶《ようえん》きはまるポーズを作る。われわれの眼からすれば、ファッション・ショウにすぎないものを凝視する観客席の緊迫感は、真に異常なものがあつた。
 つひに最後の幕が来た。それは日本の王朝時代に取材したショウであつたが、はじめのうち幽暗であつた照明が、次第に明るさを増して、やがてプリマドンナが現はれた時、観客の興奮は青白い火花でも散らしさうであつた。彼女はゆるやかに十二|単衣《ひとえ》を着け終ると、淡紫の檜扇《ひおうぎ》(もちろんガラス製であるが)をもつて顔を蔽《おお》ひながら、橋がかりへ歩を移し、そこで扇をかざして婉然《えんぜん》と一笑した。僕はその顔を見ておどろいた。それは彼女であつた。あの阿耶であつた。
 それを見てからといふもの、僕がどんな懊悩《おうのう》の日夜を送つたかは、くどくどしく述べる気力がない。一口に言へば、僕は嫉妬《しっと》と恋の鬼になつたのである。ある午後、僕は博士の不在を見すまして、猛然と彼女に迫つた。阿耶は拒まなかつた。二人は黒|眼鏡《めがね》をかけて、白熱光|裡《り》の人となつた。しかし僕は、いたづらに不能者たる自分を発見したにすぎなかつたのである。阿耶のからだは、まさにガラスのやうに冷めたかつたのだ。
「阿耶! お願ひだ……」と、僕はあへぎあへぎ哀願した。「今晩あすこの楽屋で……十二単衣すがたで……ね、いいだらう? 君は僕の……心の……」
「心の……ですつて?」と阿耶は、唇を反らして冷笑した。「なんていふお馬鹿《ばか》さんなの! 心の……十二単衣……」彼女は、水色ガラスのシュミーズを着ながら、嘲《あざけ》るやうに繰り返した。
「とても似合ふんだ。あれでなくちやいけないんだ。……ね、楽屋で、今晩……」
「およしなさい、みつともない! 第一この私に、そんな真似《まね》ができると思つて?『女性解放』青年同盟の執行委員の私に!」
「ぢや、なんだつて君は、あんな姿で舞台に立つたのだ?」
「わからない人! あれは男性の色情を馴化《じゅんか》するため、青年同盟が採択した方法なのです。ああして刺戟《しげき》の反復でもつて、男の脳中枢を麻痺させるんだわ。」
 僕は茫然《ぼうぜん》と立ちすくんだ。危く白熱光を消さないままで、黒眼鏡をはづしかけたほどである。がその時、病院の中庭で、けたたましい銃声が立てつづけに響いた。自動車の爆音がきこえ、やがて大勢の足音が、入り乱れて廊下をこつちへ近づいて来た。僕たちが研究室へ飛びこむと同時に、廊下のドアから、顔面|蒼白《そうはく》の鰐博士が駈《か》けこんで来、あとから黒い影が二つ、風のやうに押しこんで来た。
 影たちの手にはギラギラ光るピストルがあつた。
 それが一斉に火を吐いた。鰐博士はばつたり倒れた。
「反動……革命だ……」といふのが、その唇をもれた最後の※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]《ささや》きであつた。阿耶は僕の胸のなかで失神した。
 僕は二人の下手人《げしゅにん》を見た。そして、それがあの博物館にあつた赤膚媛、牙氏月姫といふ二体のミイラに他ならぬことを認めた。一人は乳房《ちぶさ》を揺り立てて笑ひ、もう一人はこれ見よがしに子宮部を突き出して哄笑《こうしょう》した。と、さつと身をひるがへして、再び風のやうに走り去つた。……

 噂《うわさ》によると、反乱はまだ続いてゐるさうである。もはや市中には銃声は聞えないが、急速に地方へ波及しつつあるらしい。その首謀者は、二三の高級軍人の夫人たちだとも言ふが、真偽のほどは判明しない。
 きのふ僕は阿耶の葬儀に列した。弔砲《ちょうほう》が鳴つて、非常な盛儀であつた。あのまま息を引きとつた彼女の顔は、ガラスの棺《ひつぎ》のなかで白蝋《はくろう》のやうに静かであつた。僕は純白の花束を、人々の後ろから墓穴のなかへ投げてやつた。さらば、わが心の女よ!



底本:「日本幻想文学集成19 神西清」国書刊行会
   1993(平成5)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集」文治堂
   1961(昭和36)年発行
初出:「別冊文芸春秋」
   1952(昭和27)年4月発行
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:川山隆、小林繁雄、Juki
2008年1月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング