彼女が「舞台に出て踊りを踊った」のに反し、彼は「かもじの美術家」――つまりカツラ師でありメーク・アップ師であって、伯爵の農奴連中から成る女優たちの「顔を作ったり髪を結ったり」するのが役目だったのである。とはいえこれは、かもじ櫛を耳にはさみ、ラードで伸ばした臙脂《べに》のはいったブリキ缶を手にした、そんじょそこらの月並みの職人とはちがって、れっきとした見識を具えた[#「見識を具えた」に傍点]男であり、まあ一口に言えば美術家[#「美術家」に傍点]なのであった。
リュボーフィ・オニーシモヴナの言うところによると、「顔に趣向を凝らす」ことにかけては、彼の右に出るものは誰一人なかった。
一体どのカミョンスキイ伯爵の代に、そうした二人の花形が全盛をうたわれたものか、そこのところはわたしにもはっきりしない。カミョンスキイ伯として知られている人に三人あって、そのいずれもオリョールの古老たちによって「稀代の暴君」と呼ばれている。元帥ミハイラ・フェドートヴィチは、その残忍さのたたりで一八〇九年に農奴たちの手にかかって落命した。その二人息子のうち、ニコライは一八一一年に歿し、セルゲイは一八三五年に亡くな
前へ
次へ
全55ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング