があった。
何しろ仰山な註文だった。
――今じゃとても想像もつかないくらい、その頃は万事やかましゅうござんしてね(と、乳母は語るのだった。――)よろずにつけ形式万能でしたから、お偉がたには一々お顔はこうこう、おぐしはしかじかとちゃんと極りがあったものです。それがまた、ひどくお似合いでないお人もありましてね、型どおりの恰好におぐしを作って、前髪をつまんで立てたり鬢《びん》の毛を揃えたりすると、お顔のぜんたいがまるでお百姓のバラライカの絃が切れたみたいな様子になることもありました。お偉がたにしてみればそれが頭痛の種でしてね、ですからお顔の剃《あた》り方、おぐしの作り方が、それはそれは大事な役目だったわけです。――お顔のうえの頬ひげと口ひげの間にどんなふうに畦道《あぜみち》をつけるか、捲毛の巻き工合をどうするか、おぐしの櫛目をどう入れるか、そのやり方一つ、そのちょっとした呼吸ひとつで、お顔の表情ががらり変ってしまうんですものね。それでも文官のかたは(と、乳母は語りつづける)――まだしも楽でした。文官のかたにはさほど面倒な註文はなく、唯うやうやしく見えさえすれば事は済むのでしたが、武官になると註文がなかなかむずかしくて、上長の前では柔和さが第一、目下にたいしてはどこまでも毅々《たけだけ》しく、威高気に見えなければいけないのです。
つまりそれは、かねがねアルカージイが伯爵のさっぱり見栄えのしないみっともない御面相に取って附ける妙を得ていた、当のものだったのです。
※[#ローマ数字7、1−13−27]
田舎住まいの弟ぎみは、町住まいの兄ぎみよりも一段と醜男《ぶおとこ》でしたが、かてて加えて村里ぐらしのうちにすっかり「毛もくじゃら」になって、おまけに「つらの皮がごわごわ」になっていることに、自分でもさすがに気がついていたほどでしたけれど、さりとて誰ひとり顔をあたってくれる者がなかったのは、万事が万事しわんぼうな生まれつきだったので、お抱えの理髪師を年貢代りにモスクヴァへ奉公に出していたからなのです。そればかりかこの弟ぎみの顔は、一めんに瘤々だらけと来ているものですから、仮りにもそれを剃る段になったら、そこらじゅう切り疵だらけにせずには済まぬ始末だったのでした。
さてこの人がオリョールに出てくると、町の床屋の面々を呼びあつめて、こう申し渡したものです、――
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