さう》を弄《ろう》して、興味《きようみ》をさへ添《そ》へしめてゐた。
彼《かれ》は其後《そのご》病院《びやうゐん》に二|度《ど》イワン、デミトリチを尋《たづ》ねたので有《あ》るがイワン、デミトリチは二|度《ど》ながら非常《ひじやう》に興奮《こうふん》して、激昂《げきかう》してゐた樣子《やうす》で、饒舌《しやべ》る事《こと》はもう飽《あ》きたと云《い》つて彼《かれ》を拒絶《きよぜつ》する。彼《かれ》は詮方《せんかた》なくお眠《やす》みなさい、とか、左樣《さやう》なら、とか云《い》つて出《で》て來《こ》やうとすれば、『勝手《かつて》にしやがれ。』と怒鳴《どな》り付《つ》ける權幕《けんまく》。ドクトルも其《そ》れからは行《ゆ》くのを見合《みあ》はせてはゐるものゝ、猶且《やはり》行《ゆ》き度《た》く思《おも》ふてゐた。
前《さき》には彼《かれ》は中食後《ちうじきご》は、屹度《きつと》室《へや》の隅《すみ》から隅《すみ》へと歩《ある》いて考《かんが》へに沈《しづ》んでゐるのが常《つね》で有《あ》つたが、此《こ》の頃《ごろ》は中食《ちうじき》から晩《ばん》の茶《ちや》の時迄《ときまで》は、長椅子《ながいす》の上《うへ》に横《よこ》になる。と、毎《いつ》も妙《めう》な一つ思想《しさう》が胸《むね》に浮《うか》ぶ。其《そ》れは自分《じぶん》が二十|年以上《ねんいじやう》も勤務《つとめ》を爲《し》てゐたのに、其《そ》れに對《たい》して養老金《やうらうきん》も、一|時金《じきん》も呉《く》れぬ事《こと》で、彼《かれ》は其《そ》れを思《おも》ふと殘念《ざんねん》で有《あ》つた。勿論《もちろん》餘《あま》り正直《しやうぢき》には務《つと》めなかつたが、年金《ねんきん》など云《い》ふものは、縱令《たとひ》、正直《しやうぢき》で有《あ》らうが、無《な》からうが、凡《すべ》て務《つと》めた者《もの》は受《う》けべきで有《あ》る。勳章《くんしやう》だとか、養老金《やうらうきん》だとか云《い》ふものは、徳義上《とくぎじやう》の資格《しかく》や、才能《さいのう》などに報酬《はうしう》されるのではなく、一|般《ぱん》に勤務《つとめ》其物《そのもの》に對《たい》して報酬《はうしう》されるので有《あ》る。然《しか》らば何《なん》で自分計《じぶんばか》り報酬《はうしう》をされぬので有《あ》らう。又《また》
前へ
次へ
全99ページ中79ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング