。家族制度の弊だ。つまり、道徳が、子に厳で親に寛である結果、親子の愛情が正しく導かれてゐない。両者の反撥は思想の相違から来るといふよりも、愛情の表示の相違から来る場合が多く、今日世間道徳の所謂孝道の執拗な鼓吹は、根本的に悲劇を含んでゐる。家族制度を維持するつもりなら、先づ親を新しく教育しなければならないだらう」
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 ところが、豈に親子の問題のみならんやである。万事がこの調子で、学校に於ける師弟の関係、町内交際の関係、警察対人民、都市の文化施設、資本家対労働者、小さくは傭主と使用人の関係、すべて、人間性の自覚と健全な道義とを無視した、一見静かには見えるが、一皮むくと恐ろしい病毒の芽が吹いてゐるのである。
 少くともわれわれの周囲では、「個人的に」はみんなそれに気がついてゐるのである。殊に、文学者は一番痛切にそれを感じてゐることを断言して憚らない。政治家と雖も、多分「個人としては」同感するに違ひない。どうして、それを公然と云はないのか。云ふ機会がないのか? 云ふと商売にならないのか?

 国民精神の作興とはなにか? 思想の善導とはなにか? 大和魂とは、日本民族の優越性とは何か?
 道徳も宗教も歴史も、日本精神の危機を救ふことは不可能なところまで来てゐるのである。
 浮世絵や茶の湯や、義太夫や浪花節ではどうにもならぬ。ならぬどころか、そんなものを擔ぎ出すと、事態は悪化するばかりである。
 近代的な意味に於ける文学的肥料の供給は、わが国民を自滅から救ふ最も簡易な! 方法ではないかと思ふが如何? 勿論、三百年後のことを考へてである。(一九三六・一)



底本:「岸田國士全集23」岩波書店
   1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
   1936(昭和11)年11月15日
初出:「文芸懇話会 第一巻第二号」
   1936(昭和11)年2月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年2月22日作成
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