、時々、ちらちらと私の方へ好奇的な眼を向けてゐた。
主人は子供のことばかりに気をとられ、抱き上げたり、寝かせたり、菓子を与へたり、頭を撫でたりしてゐた。やがて、ズボンを脱がせ、床の上の痰壺へ小さな尻をあてがつて大便をさせはじめた。
云ふまでもなく、私の眼の前である。私は廊下へ出たくもあつたが、また、それも惜しい気がして、ぢつと網棚の一隅を睨んでゐた。
用事がすむと、痰壺は廊下へ持ち出された。細君が何やら小声でもう一人の女に囁いた。主人が帰つて来て、袋から梨を取り出し、女たちはそれを一つづつ分けた。
主人は、私の前へも二つ梨をおいて、食へとすゝめるのであるが、私は、遠慮した。
天津でこの一家族は私に丁寧な会釈をして降りた。
塘沽で日が暮れ、昌黎で夜が明けた。
葡萄と梨の産地と見え、プラツトフオームはさながら果物市場である。大きな籠に積みあげた葡萄をめいめい手に提げて帰つて来る。
秦皇島は砂丘のなかに建てられた明るい街である。海上に浮んだ無数の船は、みな英国の旗をたてゝゐるわけではない。時代の転換を暗示する風景である。
いよいよ山海関だ。万里の長城の一端があつけなくそこで切れてゐる。遠く山腹を這ひあがる姿は、奇観でないこともないが、私の眼は、もうさういふものにいつか慣れてしまつた。
それよりも、一歩満洲へ踏み込んだ瞬間、私を微笑させたのは、畑の真ん中を、黒い一頭の豚がちよこちよこと走つてゐたことである。
北支の旅行を通じて、生きてゐる豚をはじめて此処でみたといふのは、ちよつと皮肉な気がしたからである。
また夜が来た。
闇の中に、次第に浮ぶ灯の海は、金州であつた。ネオンサインもあちこちに見えて、私は思はず身ぶるひをした。
もう日本へ帰つたのも同様である。私の役目はこれですんだのであらうか?
大連で弟とその一家のものたちに会ひ、大場鎮陥落の提灯行列に賑ふ夜の街を歩いて、私は、この旅行の無意義でなかつたことをしみじみ感じた。
が、最後に門司までの船の中で、私は是非読者諸君に告げておかねばならぬ情景を目撃した。
それは、食堂で夕食の最中である。
一団の日本人が酒杯をあげて大いに戦勝気分を漂はせてゐたが、忽ち、そのうちの一人が、すぐ後ろの席にゐる白人の男女に、何やら怪しげな調子でからみつき、しまひに、その女の肩へ手をかけようとした。女は、憤然として起ち上つた。連れの男は、その女をかばふやうにして連れ去つた。件の日本紳士は、重心を失つて尻もちをついた。
「Sale type!」
私の耳へ、鋭く、この一言が飛び込んで来た。今の女が、吐きだすやうに云つたのである。
海は静かであつた。
馬関海峡はしかし秋雨に煙つて、晴天十日の大陸は、もはや私の記憶のなかに遠ざかつて行つた。
底本:「岸田國士全集23」岩波書店
1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「北支物情」白水社
1938(昭和13)年5月1日発行
初出:「文芸春秋 第十五巻第十四号」
1937(昭和12)年11月1日発行
「文芸春秋 第十五巻第十六号」
1937(昭和12)年12月1日発行
「文芸春秋 第十六巻第一号」
1938(昭和13)年1月1日発行
「文芸春秋 第十六巻第二号」
1938(昭和13)年2月1日発行
「文芸春秋 第十六巻第三号(事変第六増刊)」
1938(昭和13)年2月18日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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