を振ひつゝあるかを吹聴すると同様、今更云ふも愚かといふ気がするのである。
 そこで、私は土産話になるかどうか知らぬが、私の僅か旬日の間に通つた道筋を追つて、いくらかでも戦争の臭ひのする人物風景の素描を試みてみようと思ふ。
 文辞甚だ整はないのは、行李を解いたばかりで旅の疲れがまだ癒えないためと思つていただきたい。

     出帆

 船が神戸を出る時、私はなるほどこれが天津に向ふ船だなと思つた。
 甲板には軍装いかめしい将校がいくたりかテープの束を握つて桟橋を見おろしてゐる。カーキ色の詰襟に袈裟をかけた従軍僧の一団が、これも不動の姿勢で見送人の歓呼を浴びてゐる。
「××部隊長万歳!」
 群衆のなかの一人が音頭を取つた。
「万歳……万歳……」
 これに和した幾百の若い声はひと眼でそれとわかる中学生らしい制服の一隊である。恐らくその学校の配属将校がこの船で戦地にたつらしい。
 船が動き出してから、岸壁が見えなくなるまで、生徒たちは「万歳」を連呼し、帽子と旗を振り、そのたびごとに甲板では一砲兵少佐が挙手の礼でこれに応へてゐた。
 外国人の男女が、私のそばでこの光景を珍しさうに眺めながら、切《しき》りに何か囁き合つてゐる。
 突然、従軍僧の一人が、両手を挙げて、声を限りに叫んだ。
「天皇陛下万歳!」
 岸壁の人影は黒い塊りのやうに動かない。そして、それがそのまゝ船の反対の舷の方へ消えて行つた。
 私はしばらく甲板を歩き廻つた。自分に用意を促すといふやうな気持であつた。

     英国士官

 船室へはひつて、北支那の地図をひろげてみた。上陸後の行動について、あらましのプランを樹てゝおくつもりであつた。往復をいれて三週間といふ時日が限られてゐる。それ以上の暇は、絶対にとれない今の私である。万一の事故は計算にいれないまでも、この予定を勝手に狂はしては、第一に近く旗挙げ公演を控へてゐる文学座の諸君に相すまぬ。
 先づ天津に着いたら、各方面の情報をしらべた上、一番近い戦線を目ざすよりほかない。が、私の秘かに自分に与へた任務は、恐らく第一線の後方数キロの一地点に、三日ばかりぢつと腰をすゑてゐさへすれば果せるのではないか?
 新楽、石家荘、井※[#「こざとへん+徑のつくり、第3水準1−93−59]といふやうな地名が眼にうつる。
 その時、同室の若い英国人がはひつて来た。話をしてみる
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