何処かで銃声がするといふものがある。
私は耳を澄ました。さう云へばあの音か知ら? 鉄道に沿つた道路を、逆の方向へ三台のトラツクが走つて行く。武装した兵隊を満載してゐる。
「敗残兵が出たな」
誰かが囁いた。
「もう、新楽はぢきでせう?」
私は堀内氏に訊ねた。
「そこが新楽ですよ」
灯の見えない部落には、しかし、何かが動いてゐる。○○、○○○の集団が、そここゝに宿営してゐることがわかつた。
「今日は、もう前へは出られませんね」
新楽の南端に沙河といふ河があつて、その鉄橋がまだ修復できないのである。河向ふから汽車が出るには出るのだが、その時間はわからない。
鉄橋こそいゝ迷惑で、敵と味方が、代る代る毀す。それをまた、代り番こに直すのだが、鉄道関係の人の話では、支那軍の破壊方法はなかなか専門的で、手が込んでゐるさうだ。だから、修繕にも骨が折れるのである。
新楽の駅に着くと、堀内氏は、荷物を一旦構内の片隅に纏めておろし、部下の一人を見張に残して、早速宿舎の探険に出掛けて行つた。私もむろんそれに従つた。
支那民家
停車場司令部はごつた返してゐる。なにしろ、戦場の旅行者はひと先づ此処で「自分の行くべきところ」をたしかめなければならぬ。宿と食糧にありつくためには、○○へ出頭すべきだが、その在りかが第一わからない。明日の汽車の時間も知りたい。副官は声をからしてゐる。
われわれは、そこへいくと、堀内氏といふ大船に乗つてゐるから、どう間違つても大したことはあるまい。
「たつた今、定県の駅が襲撃された」
といふ言葉を、私は、辛うじて耳にはさんだ。
堀内氏は、すたすた、裏道伝ひに新楽の城門を目指して歩いて行くのである。
「詳しいもんですね」
私は思はず感嘆の叫びをあげた。
「いやあ、なんべんも来てますから……」
城門をはひると、すぐに「新楽県治安維持会」といふ標札の出てゐる建物があつた。城内氏は、そのなかの一室をのぞき込んだ。五六人の支那人が蝋燭を立てた卓子を囲んでゐたが、堀内氏の姿を見ると、懐しさうに起ち上つて、口々に何やら挨拶を述べてゐる。
やがてその一人が先に立つて歩き出した。街はひつそりとして、家といふ家は固く門を鎖してゐる。
月が出たのであらう。空はほんのりと明るく、人影のない街は、却つて無気味であつた。
と、いきなり、街角をこつちへ
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