佐からいろいろと参考になる話を聞かせて貰つた。
「あなたのものは、何時か汽車のなかで、『富士はおまけ』といふのを読みましたよ」
「あゝ、さうですか」
 と、私はちよつと照れて、今度戦地を訪れた自分の目的といふやうなものを簡単に述べた。M少佐はよく私の意のあるところを汲んで、できるだけ便宜を計るからと、非常な好意を示された。私は、できれば観戦武官の一行に加へて欲しいのだがと頼んでみた。
「多分いゝと思ふが、明日もう一度来てみよ」といふことであつた。
 その夜は、同船したT書記生の配慮によつて、私は英租界のタラチ・ハウス・ホテルに宿をとることができた。日本租界の宿屋は満員だといふ話を前もつて聞いてゐたのである。

     租界文化

 夜は、支那語に堪能なT書記生の案内で市中を散歩した。
 日本租界へはひり、交通巡査に一番賑かな通りは何処かと訊ねたら、かう行つてかう曲つたとこだと教へられ、われわれは植民地の銀座通りを想像しながら、暗い通りをその方角へ歩いて行つた。
 それはたしか常盤街と云つたと思ふ。なるほど人通りは目立つて多く、両側の家からは珍しく明りが漏れてはゐるが、それは、内地の所謂花柳街に相当するものであることがすぐにわかつた。芸者屋、料理屋、待合風の家、その間に、寿司や、蕎麦や、生菓子やなどが軒を並べ、その何れもが、支那風の建物に入口だけ格子や暖簾をくつつけてゐる異様な風景は、ちよつと他の租界では見られまい。しかし、日本人の郷土色尊重はかういふ形で常に現れるといふことを私は幾多の例で示すことができる。
 さう云へば、各国の租界が面白い対照をなしてゐるのは、それぞれの辻に立つ交通巡査の服装である。
 英国は紺の胴に白い幅広の袖をつけた軽快なもの、仏国は、カーキ色の兵隊服は平凡だが、帽子は例の黒に赤い縁をとつた純フランス風のケピイがなかなか小粋である。ところが日本はとみると、これは誰が考へだしたのか知らぬが、甚だ間の抜けた支那保安隊式のもので、その上、ほかの租界のお巡りさんのやうに、得意げには見えないのである。そのせゐかどうか、日仏両租界の境界に、両方のお巡りさんが向ひ合つて立つてゐるが、一方は安南人でもいつぱしフランス人気取りで、日本側の支那人巡査を小馬鹿にしてゐる風がありありと窺はれた。
 こんなことを気にすると末梢的だと嗤はれさうだが、私は、支那に於ける「
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