は、単に、日支両国民の共通の希望となるべき将来の文化的工作が如何なる意図と方法によつて築かれつゝあるかといふことである。
 この報告は、努めて厳正に且つ自由になされなければならぬと私は思ふ。国を挙げての決意と無名戦士の幾多の血によつて購ひ得たひとつの結果について、わが同胞は等しく責任を分たねばならぬからである。
 私の比較的親しくしてゐた友人の幾人かゞ相次いで召集に応じ、何れも立派な門出であつた。彼等のうちの三人が、つい二三日前、殆ど日を同じくして二人は戦死し、一人は重傷を負つた。感慨無量である。
 北支各方面の戦線に活躍しつゝある部隊名を、新聞で毎日のやうに見る。幼年学校や士官学校で机を並べてゐた連中が、それぞれもう聯隊長級で、軍記風に云へば、駒を陣頭に進めてゐることがわかつた。さぞ満足であらうと思ふ。
 幸ひに便を得て、これらの旧同僚の後を追ふことができたら、是非、その機会を逸すまい。手柄話を聴くのも面白からうが、陣中閑談に時を過したら一層妙である。「貴様、戦《いくさ》の邪魔をしに来たか」などと云はせてみたい。
 私は先日来、若い学生たちに接する毎に次のやうな問ひを発した。
「君が若し北支に派遣されたとしたら、どういふところを一番看て来たいと思ふか?」
 彼等はめいめいに面白い、或は平凡な意見を吐いたが、左の二項だけは、異口同音に、殆ど全部がこれをあげた。そのひとつはわが軍奮戦の実況、もうひとつは日本軍を迎へる支那民衆の表情。
 前者は、当り前のことゝして別に取りたてゝ云はないものもあつたが、後者は、これこそ、いろいろなニユアンスを含めて例外なく知りたがつてゐる事実であることがわかつた。
 そこで、私が痛切に感じたことは、新聞の報道が如何に統制されてゐても、その統制され方によつては、銃後の国民は却て報道の裏を知りたがるものだといふことである。
 さういふ私自身、決してその裏をのぞかうなどといふ好奇心はなく、また、そんな裏があらうとは信じないが、宛も秘すべき裏があるかの如き印象を与へる一面的な誇張粉飾は、将来、報道者も慎まなければならぬと思ふ。民衆は案外、ものを正しく感じ、意味を深く察する能力をもつことを銘記すべきであり、早く云へば、それほど御心配には及ばぬのである。

 私は、外国の観戦武官(現在さういふものがあるかどうか知らぬ)といふものが、どんな顔をしてこの
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