。それをHの如く、断じて易きに狎れない覚悟をもちつゞけるといふことは、なかなか凡夫にはできがたい業だと今更敬服してゐる次第だ。
「つい二三日前、敵の飛行機がこの上へ飛んで来てのう」
と、Hは愉快さうに語る。
「ほれ、あそこに造船所があつたらう。あの附近へドカン/\と落して行きやがつたよ。やられたのは支那人ばかりさ。馬鹿野郎だ」
「こつちに防備はないのか?」
私はうつかり訊ねた。
「う? うむ……ないことはない。○○砲が○門ある。当りやせんよ」
「逃げ脚が早いでのう」
と、まだ敵の飛行機を見たこともないSが応援した。
妙なもので、将校たちが、例へば、○○砲は当らんといふのを聞くと、素人はなるほどそんなものかと思ふかも知れぬが、それは彼等の言葉癖を解せぬからである。あからさまに云へば、彼等は、自分の属してゐる兵科の自慢は大つぴらにやる代り、他兵科をわざとこきおろす無邪気な習慣がある。決して、近代武器の威力を軽しとするわけではない。逆の例を云へば、某飛行将校は、今度の実戦の経験を私に語り、飛行機の強敵は有力な敵機に非ず、砲兵に非ず、機関銃に非ず、寧ろ散開せる歩兵の小銃射撃なりと断言した。味ふべき説である。
さて話が混線したが、われわれは腹がいつぱいになつたところで、Hに暇を告げた。
「コレラなんかにやられるな」
私が戯談をいふと、
「うむ、貴様も流れ弾に用心しろ」
送つて出ながら、彼は、Sに囁いた。
「こゝにをると前線に出る同期生がみんな訪ねて来るよ。おれは云つてやるんだ。――貴様早くくたばれ。さうせんとおれに隊長の番が廻つて来んつて……」
天津まで
塘沽の停車場は雑沓を極めてゐた。
そこで私は、最初に支那民衆の表情を読み取らうとしたが、なんのことはない、みんなのんびりとしてゐて、こつちだけが緊張してゐるのに気がついたくらゐである。一人一人についてはどうとも云へぬが、かうして群衆としての彼等を観察すると、そこには戦争などといふものか如何なる形でも映つてはゐないやうに思はれた。寧ろ、この雑沓の印象は、彼等の間を縦横に掻き分ける様々な日本人の姿が目を惹くせゐであることもわかつて来た。
藍鼠の水兵服に真つ赤な袖章をつけた伊太利の守備兵が五六名、なんの屈託もなささうにプラツトフオームを往つたり来たりするのが、たゞ一つの明るい色彩である。
明るい
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