う?
時として冷酷たらんとする観察者も、また、苦《にが》さを苦さとして永く記憶する瞬間があるのである。
北京を去る
予定の日数は余すところ幾日もない。
塘沽から出る船を待つてゐるより、大連へ廻つた方がいくらか早いやうなので、弟に会ふ便宜もあり、かたがたさうすることに決めて、寝台車を予約した。
「もう一度是非来ます。これでは北京を観たとは云へますまい。なにか、非常に心を捉へるものがあるのはたしかです。好きになつたらたまらないだらうと思ふ。早く云へば、生活のダイメンシヨンといふやうなものが、人間の本性にぴつたり合つてゐるといふ感じがするのだが、僕には、それ以上の分析はできません」
私はO氏にそんなことを云つた。
事実、かういふ都会が世界に一つや二つ残つてゐてもいゝと思ふ。機械文明が取りつゝあるコースとは別に、いくらか頽廃の色は帯びながらなほこのやうにある種の秩序と豊かさとを保ちつゞける文化の形態といふものは、さうざらにはないのである。
人類の進歩のために、かういふものは役に立たぬといふ考へ方もうなづけないことはないが、伝統の墨守から生じた潤ひのない形式主義とはおのづから別な、融通無碍な一面がたしかにあることを注意しなければならぬ。
私は、たゞ、建物や、街路やそれらが組み立てる都市の外観についていふのではない。それらを含めてではあるが、北京といふ「生活体」の発散する雰囲気についていふのである。
支那全体については、また違つた見方をしなければなるまい。私は、この複雑な国家を、民族を、まだ語る資格はなささうである。
が、今まで漠然と伝へ聞いてゐた支那、時としては比類なき愛情を以て、時としては、敵意と軽蔑とをもつて語られる支那を、極めて自分には縁の遠いものと考へてゐた。ところが、政治的な意味ばかりでなく、私は、今度の旅行を契機として、支那及び支那人に対する興味が、非常な勢ひで頭をもたげて来たことを告白する。
十月二十八日午後二時、O、N、Wの三氏に送られて、私は、北京を離れた。
二等のコンパルチマンには、私のほかに、支那人の一家が乗り込んでゐた。中年の夫婦と、やゝ年をとつた身内らしい女と、赤ん坊との四人である。細君は三十そこそこであらうか、わりに智的な顔をしてゐるが、だるさうに後ろへもたれたまゝ、赤ん坊の世話を主人ともう一人の女に委せたきりで
前へ
次へ
全74ページ中72ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング