で、私は挨拶を述べた。
「私はこの度、雑誌文芸春秋の特派員といふ資格でこゝへやつて来ました。しかし、私は元来、ジヤーナリズムのエキスパートではありませんし、さういふ角度から、この事変の現地報告をする能力も興味もないのです。
私はたゞ日本の一作家として、戦乱の地を訪れ、自分自身のためにも若干の新しい体験を、また、私の読者のためには、なるべく冷静に今度の事変の性質、及びその結果を考へてみる材料をもたらしたいといふのが、本来の希望であり、任務なのであります。
実は、十分の暇がなく、非常に短時日の旅行なのですが、ともかく、石家荘まで行つてみました。それからつい一両日前北京へ着いたところです。北京の街は、なるほど、見たところでは、不幸な戦禍を免れてゐるやうに思はれます。しかし、民心はどうでありませうか。旅行者たる私には、一種解し難い時局の謎もあります。そこで私は、この機会に是非、御国の知識人から、出来るだけ率直な御意見を聞かしていたゞけたらどんなに参考になるだらうといふ考へを起しました。しかも、それが必ずしも不可能でない最大の理由は、今度の事変が幸ひに国民と国民との争ひでないといふこと、お互にいくぶんは違つた意味をもつてはゐませうが、ともかくも、中国人と日本人とが、事こゝに至つても、なほかつ仇敵の間柄ではないといふことを、両国の政府がはつきり声明し、国民も亦それぞれ、その点を深く認識してゐることであります。この認識は、外交の掛引からは遠いものであると私は信じたい。少くとも、さういふ信念をもつて、両国民の不幸を見つめ、その前途を憂へてゐる日本人、殊に、知識層の大部に、私は少数の方々でもいゝ真に同志と呼ばるべき御国の知識人の声を聞かせてやりたいのであります。
今日こゝにお集り下さつた方々は、その経歴、地位、また、現在の出処進退に於て、われわれが躊躇なく、味方と呼び得る方々であらうと信じますが、私自身、日本人として当然の国民的義務を負うてゐますと同様に、皆さんも、中華民国人として、言論行動の上の制約を顧慮せられなければなりますまい。これは申すまでもないことで、私がたゞ、皆さんから伺ひたいと思ふのは、専ら、文化的な部門についてであります。例へば日中両国民の提携による平和百年の事業が、果してどんな基礎の上に築かれなければならぬかといふやうな問題について、皆さんの抱負なり、予想なり
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