竜にさらはれてもよい」と天に誓ふ程の図太さであつたが、誓ひの言葉が未だ終らない中に、本当に竜にさらはれて行く。

 筋は他愛のないものだが、歌を聴くのが主だと云はれてみれば、それまでの話である。しかし、歌を唱ひながら、それぞれの役柄に応じて、型の如き身振りをするのだが、その身振りは、身分、年齢、性格、殊に、青年男女の性的魅力を、極めて端的に、しかも微妙に現はすこと、わが歌舞伎劇の手法に酷似し、更に私の観察では、若い女の媚態を形づくる線の動きは、不思議に日本の伝統的な女性美の標準と一致するものがある。云ひ換へれば、西洋の如何なる芝居に出て来る女も、コケツトな表情の百姿百態を通じて、まつたくこれと共通したものをもつてはゐないことを注意すべきである。
 それともうひとつは、役者の見得の切り方であるが、あの瞬間の動きと「きまり方」の呼吸は、これまた、日本の歌舞伎と支那劇との性格を近づけてゐる。
 この発見は、恐らく、私を途方もない仮定に導くやうに思はれる。といふことは、わが歌舞伎劇なるものが、案外、今日まで信じられてゐるのとは反対に、直接支那劇の影響を受けてはゐないかといふことである。
 さもなければ、両国民の伝統的な生活感情は、種々相距る外貌をもつに拘はらず、少くとも、異性理想化の一点で、隣国に応はしい接近を示してゐると云はなければならぬ。
 まあ、この議論は将来N氏にお委せするとして、私の支那芝居見物記はこのへんで切り上げることにしよう。

     女学生の作文

 忘れようと思つても忘れられません。私達はいつ迄も七月二十七八日の爆声を記憶するでせう。
 あの日私の父は私達に言ひました。
「我々は明日は天津に避難しよう」
しかし私達は父に反対して言ひました。
「あたしは行かない。同《とも》に国難に赴くのよ」
 私達だつてやはり死にたくはありません。しかし避難[#「避難」に傍点]、この二字はどうも聞き苦しい。
 数日たつて新聞に天津の戦禍が報ぜられてゐた。
「※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]呀《ヤレヤレ》、天津に避難して行つた人はみんな死んぢやつたよ」
 と、父はこの一語を云つてニツと笑ひました。
          ×          ×
 私の家には姪が沢山にゐます。私よりたつた一つ年下の姪は或日旗行列に参加しました。彼女は一日中街を歩き廻つたので迚も疲
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